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2009年10月25日
丸山東壁
少し時間が経ってしまいましたが、9月5-6日に北アルプス・丸山東壁を、TSさんとJFさんと私の三人で登りました。 ビデオ作品「丸山東壁」のオープニング映像はこちら。 |
晩夏の丸山東壁は私達以外誰一人いなかった。つまり、この大岩壁を貸し切ってしまったことになる。
最近、小さな岩を大人数でわいわい言いながら登る流行りのクライミングとは到底、趣きが異なる。しかし、大自然の中に抱き込まれる感覚はいつも新鮮で、こういうクライミングもたまには良いものだ。
ただ、これらのルートは、ひたすら木登りとあぶみの架け替えが続く。最後にはもうお腹いっぱいという気持ちになった。とはいえ、1960年代当時の開拓者の方々の努力はいかばかりのものがあったか・・・。敬服してしまう。
投稿者 sue_originalcv : 13:26 | トラックバック
2009年10月15日
イタリア・シチリア島旅行記
9月24日から10月13日までイタリア・シチリア島へ行ってきました。これはその旅行記です。長文ですが、興味のある方はどうぞご覧下さい。 なお、この旅でも武中ご夫妻に、ずーっとお世話になりっ放しでした。改めて御礼申し上げます。 ビデオ作品「シチリア、その夢」のオープニング映像はこちら |
9月24日 Roma
アリタリア航空ボーイング777の各座席には液晶パネルが付いている。
ここのフィルムフォリダから一本の映画を選択した。クリント・イーストウッド主演のグラントレノである。この映画はFさん夫妻から「見た方がいいよ」と推薦されていたことを思い出したからだ。
現役を引退し、妻を亡くした老人の話である。老人の住む田舎町にアジアから移民が引っ越してきた。当初、まったく異文化を持つ彼らになじまなかったが・・・。そして、老人が困難を乗り越えるために選択したベストの方策とは・・・。人間の生き方を問われる映画だった。
この古き良きアメリカンスプリットを見て、今回のシチリア旅行が始まった。さて、どうなりますやら。
9月25日 Palermo
パレルモ空港に向けて機首を下げていると、窓からシチリア島が見えてきた。ビーチからそそり立つ断崖絶壁。スケールの大きな岩壁が見えた。これは楽しいクライミングを満喫できるかも・・・。
空港に着くとむっとした生温い空気を感じた。空港からバスに乗り換えて東のPalermo市街地に向かう。左手にはティレニア海が見えるが、曇った空にざわざわと波立っていて何か落ち着かない。そして、とうとう黒く垂れ込めた雲から土砂降りの雨が降ってきた。
Palermoの人口は約70万人だが、地下鉄や路面電車のような大量輸送機関がない。公共輸送機関はバスのみ。マイカーが氾濫し、路上駐車も道の両側にびっちりだ。よって、道路はひどく渋滞する。
鉄道Palermo駅近くのバス停で降りて、「地球の歩き方」に紹介されていたホテルまで歩いた。この辺りはチャイナタウンなのだろう。漢字で表示された看板が目に付く。
そして、ホテルを見つけチェックインした。部屋に入ると、天井が高く、幅狭のコンクリートの部屋。縦長の木窓を開けるとどんよりとした空が見えた。
この雰囲気。この感じ。どこかで経験している。ここは、燦々と輝く太陽をイメージしていたシチリアとは思えないのだ。
この雰囲気は中国福建省アモイの前に浮かぶ島、金門島に似ている。征服され抑圧され続けた人たちがもつ独特の雰囲気。何かそのようなものを感じるのだ。
ホテルの窓 | ヴッチリア市場の近くにある サン・ドメニコ教会 | ヴッチリア市場の果物屋 |
9月26日 Lo Schiavo
昨日、クライミングエリアLo Schiavoまでのバスの乗り方を、市バスのインフォメーションで聞いた。
まず、No.101に乗ってPoliteamaまで行く。そこでNo.806に乗り換えてFavolitaで降りる。いつものことなのだが、バスは降りるときが難しい。
そこで、次のセンテンスが使えそうなので覚えることにした。
"Senta, scusi. Vorrei andare a Favolita, mi dica, dove devo scendere."(ちょっとすみません。Favolitaへ行きたいのですが、降りる場所を教えて下さい。)
さて、大きな岩場が近づいてきた。近くの男性に上のセンテンスで話しかけると通じた。返ってきた答えは、
"Questo!"(ここだよ!)
とっさに、降りなきゃ!とは思ったが、何と言っていいのか、どうしたらいいのか、一瞬わからなくなってしまった。それを見ていた他のおじさんがニコッと笑って降車ボタンを押してくれた。バスが止まった。降りたのは私たちだけ。バスの乗客は物珍しそうに私たちを見ていた。
さて、目の前に大きなテーブルマウンテンMonte Pellegrinoが迫っている。その側壁が左から正面、そして、右へとずっとつながっている。本日の目的のLo Schiavoというクライミングエリアはどこだろう。
まずは右方向へ行ってみることにした。行けども行けども左手にある岩壁に入る道がない。とうとうテーブルマウンテンをぐるっと回り込む道まで出てきてしまった。この道はテーブルマウンテンの頂上へ行く道だ。明らかに間違っている。仕方がない。引き返すことにした。今日は土曜日なので、クライマーがいてもいいはずなのに、それらしき人たちには出くわさない。
結局、バスを降りたところまで戻ってきた。トポを取り出し、Lo Schiavoの岩場の写真をジッと見ていると、目の前の正面に見える岩場がまさにそれではないか。
あーあ。
山歩きの基本。道に迷ったときは周りをよく観察すること。何事も基本に忠実であることが一番だ。それにしてもクライマーを見かけないことが気になるが‥。
岩場に向かって登り始めると、岩屋のようなものがあり、覗きこむとそこにいた犬が吠えだした。この犬の主人がそこに定住しているのだ。貧しい。
共和制ローマ時代、ここシチリアは小麦の一大生産地だった。だから、この場所を抑えることはローマ市民の食を保証することにつながった。ローマとカルタゴが戦ったポエニ戦争はこの豊かなシチリアの覇権の問題でもあったのだ。
ようやく目的の岩場にたどり着いた。ここの岩場は大きいが、草や木やサボテンが至る所に生えており、クライミングを対象とする岩場としてはあまり美しくない。後から2つのグループのクライマーたちがやってきた。何かホッとした。彼らに聞くと、この時期は午後3時以降に夕立になるので、早めに帰った方がよい、とのことだ。私たちは「25E75 5a」という1本のルートだけを登って終了。
彼らから帰りのバス停の場所を聞いて別れた。Arrivederch!(さようなら)
バス停へ向けて1本の小道を歩いているとミニスカートのアフリカ系の女性が道脇に数人立っている。明らかにその筋の人たちだ。それもまだ真っ昼間だというのに‥。昼間と言えども、この小道を一人で通るのは怖い。そして、やはり貧しさを感じる。物質の溢れかえった今の日本では想像できない世界である。
Lo Schiavoのルートから | Lo Schiavoの岩場の全容 | Mondelloのビーチ |
9月27日 Valdesi
日曜日。窓を開けるとすがすがしい空だ。
今日は昨日の岩場よりももう少し先の海岸に近いValdesiという岩場へ行くことにした。No.806のバス停の看板をよく見ると、Regina Elena Valdesiという名前の停留所を見つけた。この停留所とValdesiの岩場が近いかどうかはわからないけれど、まあ行ってみるしかない。
昨日の岩場の停留所を越え、Mondelloに向けてバスは走って行く。
両側の街路樹が覆いかぶさっているところを抜けると、急に開けて来た。そして、目の前はコバルトブルーの海だ。白いビーチ。燦々と輝く太陽。想像していたシチリア島がここにある。
Regina Elena Valdesiのバス停で降りると、目の前はまさに輝く白いビーチだ。パラソルが無数に開いている。
もちろん、ここに岩場はないわけで、テーブルマウンテンの方へ向けて歩き出した。高い塀に囲まれた高級住宅地に入っていく。目の前に岩場が見えるのだけど、高級住宅がじゃまをして、岩場に近づくことが出来ない。二輪に乗ったおじさんに尋ねると、イタリア語で丁寧に説明してくれた。と言っても、完全に理解出来るわけではない。「ドュエチェントメートル」と「シニエストラ」の単語だけが耳に残った。つまり、2百メートル行って、左に曲がれと言うこと。
その通りに行くと、めでたしめでたし。岩場へ行く道に入った。わかってしまえば簡単なのだが、この高級住宅地は袋小路になっているのだ。入ったら出てこれないわけだ。
Valdesiの岩場へ着くと、ドイツ人カップルと地元のクライマーが登っていた。Crisi 5a, Ultimo Raggio 5bを登ったら午後3時を過ぎたのでホテルへ戻ることにした。
今日も岩場にたどり着くまでに相当に時間がかかってしまった。一筋縄でいかないところが面白いのではあるが‥。
9月28日 Palermo
私が小事を言い過ぎたのだろう。Palermoの神様は私に腹を立ててしまわれたようだ。
私達は3日後、Agrigentoに出発しTrapaniを回って、再び、Palermoに戻ってくる。そして、もう一週間をここPalermoで滞在する予定だ。しかし、そのホテルが決まっていない。そこで、メインストリートのひとつであるローマ通りのホテルを探してみることにした。
ところが、期待していたホテルからは予約でいっぱいという理由により断られた。2日前にここに立ち寄ったときには平身低頭で迎えてくれていたのに‥。次のホテルも、そして、次のホテルも断られた。
うーん。 まあ、ホテルの予約はひとまず置いて、今日のメインの観光をしようということになった。
まず、最も行きたいところ、シチリア州立考古学博物館に行くと、なんだか変。白い紙が貼ってあり、改修工事のため一時的にクローズとなっている。10月終わりにオープンするようだ。せっかく楽しみにしていたのに‥。
次に、Godfather part3でコルレオーネ家の娘が糾弾に倒れる感動的なシーンが撮影されたマッシモ劇場へ行くと、今日は月曜日なので休みだそうだ。がっかり。
仕方がない。少し足を伸ばして、パラティーナ礼拝堂へ行ってみよう。そこへ着くと、ちょうど数台の車が着いたばかりで、ドレスアップした家族が裏門から中へ入っていった。私達がチケット売場に行くと、白い紙が貼ってあり、本日は結婚式のため11時半から14時までクローズと書かれていた。なんじゃこれ?
あー、疲れた。適当な店に入って休むことにした。
まず、飲み物を頼むまでは良かった。ピザを食べようとメニューを見るが、言い回しが違うのか、どれを頼んでよいのか、わからない。レジの前のディスプレイで、直接ピザを差して注文。これでOKと思っていたら、テーブルをちょこまかと一生懸命に働いているおじさんがハムやサラミの載ったオードブル皿を持ってきた。
「頼んでないよ。」と突っ返したが、また、持ってくる。一生懸命働いているのに、あまり言うのも気の毒になり、それをテイクアウトすることにした。あーあ。
一旦、ホテルへ戻った。まだ、再びPalermoに戻ったときのホテルの予約が取れていない。
今、泊まっているホテルのロビーの受付に行き、おそるおそる「部屋は空いていますか」と聞くと、二つ返事でOKが出た。今まで小事を言っていたこのホテルが急にいとしくなる。
人間とはわがままなものである。
シチリア州立考古学博物館の貼り紙 | マッシモ劇場 | カテドラーレ |
9月29日 Valdesi
朝、窓を開けるとすがすがしい空気が入って来た。ここ2ー3日はまったく安定した天気だ。
今日はValdesiの岩場へ行くことにした。一昨日の経験で、バスの乗り継ぎ方はわかっているので安心だ。岩場へ着くと誰もいない。私たちの貸し切りである。Topo Gigio 5aでウォーミングアップした後、Troglopac 6a, Orso 6b, Rinnovamento 6aに取り付いた。
ここの岩質は石灰岩。色はタイのプラナンそっくり。コルネもあるが、プラナンほど発達していない。
ここのクライミングのベストシーズンは冬だと思う。今の時期はまだ染みだしがあって、クライミングコンディシォンとしては良くない。
しかし、その一方で、Mondelloの白いビーチと蒼いティレニア海が見えるこのエリアを、私たちだけが貸し切ってしまっているという贅沢感を味わっているのである。
9月30日 Valdesi
本日もまた、Valdesiに出かけた。Rinnovamento 6a, Cinematografo Azzuro 6c, 18/06/94 6a, Senza Nome 5b+を登った。
以前に、このValdesiという岩場もテーブルマウンテンの側壁であると書いた。
実はこのテーブルマウンテンには名前がある。Monte Pellegrinoと言い、直訳すると「外国人の山」という。ポエニ戦争のとき、カルタゴ軍はこの山に3年間立てこもり、ローマ軍と戦った。
そういうことを聞けば、私たちはあたかもローマ軍のように、Monte Pellegrinoを占拠するカルタゴ軍に向かって、岩をよじ登っているようにも思えるのだ。
Valdesiの岩場1 | Valdesiの岩場2 | Valdesiの岩場3 |
10月1日 Agrigento
あっという間に一週間が経ってしまった。ホテルをチェックアウトし、Palermoの駅に向かう。
駅のプラットホームで、シチリア人が日本語で話しかけてきた。
「やあ、また会いました。すごい休みですね。」
「今から列車でAgrigentoに行くのです。」
「そうですか。あそこは京都のようなところです。」
このシチリア人とは先日バス停で会い、「新宿のHISで働いていました」ということを聞いていた。なんだか人の繋がりとは妙なものだと思ったりする。
シチリア島はイタリア半島の靴の先から飛び出すようにして、二等辺三角形をしている。頂点はTrapani。残りの二角はMessinaとSiracusa。TrapaniとMessinaを結ぶ辺にPalermoがあり、ティレニア海に面している。そして、TrapaniとSiracusaを結ぶ辺にAgligentoがあり、地中海に面している。
だから、今日はティレニア海から地中海に向かうわけだ。
列車の車窓からは起伏のなだらかな丘が次々と見える。オリーブや柑橘類を植えた畑が続く。
そして、Agrigentoの街が見えてきた。急な斜面に張り付くように、7-8階建てのビルがびっしりと並んでいる。Palermoとは異質の風景だ。そして、はるか眼下に見える地中海は太陽が射すと、澄んだブルーの海がキラキラと輝いた。
Agrigentoの駅に降り立つと、ムッとした空気を感じた。天気は下り坂だ。今日の行動は控え、明日、神殿の谷へ行くことにした。
10月2日 Agrigento
昨夜から始まった雷と土砂降りの雨は断続的に、今朝方まで続いた。ポセイドンの神様は何かしらご機嫌ななめのようだ。
ホテルを出発するとき、雷は収まったが、雨はぱらぱらと降っていた。
バスで神殿の谷まで行き下車。遺跡が城壁に沿って並んでいる。ギリシャ人の移民によって作られたAgrigentoだが、後にカルタゴ軍によってディオスクロイ神殿は破壊されたという。
この遺跡の中でも、コンコルディア神殿はかなり完全な形で残っている。しかし、アテネのパルテノン神殿と比較しては可哀想なのかもしれないけど、規模は一回りも二回りも小さく、素材は大理石ではなく砂岩なのである。
ただ、移民してきたこの地でギリシャの神神を奉じ、未来の繁栄を願う気持ちに悲哀を感じてしまう。これもまた盛者必衰の理のひとつなのだから。
コンコルディア神殿 | 国立考古学博物館の入り口 | これぞまさに、ハンニバル! |
テラモーネ | 赤絵式陶器 | 魅せられる彫刻 |
10月3日 TrapaniからErice
Agrigentoを8時30分に出発。バスでTrapaniに向かった。
左手に地中海を見ながら、延々とバスは走る。起伏のゆるいなだらかな斜面に、区画毎に整列して、様々な柑橘類が栽培されている。大規模な農園だ。
燦々と輝く南国の太陽の下で、シチリア産の美味しい果実がここから供給されている。
4時間近くかかって、ようやくTrapaniへ到着。
今日泊まるホテルはEriceなので、Erice行きのバスを探した。次の出発は2時10分。1時間30分も待たねばならない。15分かそこらで着きそうな距離なのに、それだけ待つのも無駄なような気がする。そこで、タクシーでEriceまで向かうことにした。
タクシーは一路、山に向かう。右に折れて、山の裾野をぐるっと反対側に回ったところから、今度は左に曲がる。ここからつづら折りの急カーブを曲がりながら高度をどんどん上げていく。高度計が、400メートル、500メートル、600メートル、700メートル・・・という数字を表示した。
はるか下に見渡す景色は絶景である。蒼いティレニア海、その波が長い白い砂浜に打ち寄せる。海を隔てたその先は昔、カルタゴであった。
タクシーが止まった。Ericeは山頂の要塞の街である。その展望からはティレニア海を通過するすべての船が分かる。
とうとうここまで来てしまったのだ。
Erice 1 宿泊したホテルLa Pinetaのコテッジ | Erice 2 ティレニア海が美しい | Erice 3 城壁の中の庭・・・4つ星のレストランテがある |
10月4日 Trapani
標高700メートルの山頂の朝は冷えた。そして、雷と共にざーっと雨が降った。
シチリア島の北東端を一望に出来るEriceは素晴らしいが、弱点もある。ここを拠点に行動する場合、必ずこの標高700メートルの山を下らねばならないし、帰って来るときはこれを上らねばならない。
今日は港町Trapaniに行くことにした。Ericeでバスに乗ると、Trapaniまで一気に駆け下った。
Trapaniの街はPalermoやAgrigentoと違い、碁盤目状に区画整理がされている。港町であるが故に、船や人魚をあしらった装飾も多い。建物は、オレンジ、イエロー、薄いピンク色に塗られ、南国の蒼い空と海、そして、強い太陽の日差しに映えている。これぞまさにシチリアだ。私が日本で想像していたシチリアがここにある。TrapaniとEriceはシチリアの宝石と言ってよい。
Trapaniの海岸通り | Trapaniの海岸 バックの山の頂上がErice | ランチで出された蛸 うまかったよ! |
10月5日 Erice
ここTrapaniでもクライミングに行きたかった。しかし、Ericeからトポに書いてあるクライミングエリアのある街までは遠い。また、たとえ、そのクライミングエリアのある街にたどり着いたとしても、今回の経験が物語るように実際のクライミングエリアに到達するまで四苦八苦するはずだ。結局、もう一日はここEriceで過ごすことになった。
私は眼下の平原とティレニア海がきれいに見えるお気に入りの場所で、のんびりと本を読むことにした。
その本とは塩野七生さんの「ローマ人の物語」であるが、その話はコンスタンティヌス帝まで進んでいる。AD 313年にミラノ勅令を発し、正式にキリスト教を容認した。統治の委託者を不安定な「人間」から「神」へ変更する試みが始まった。ここから中世の扉が開かれることになる。
私が本の主要部分をノートに写し取っていると、私の前を何度も通り過ぎる人がいる。ふと顔を上げると、このEriceの教会の牧師様なのだ。「どちらから来たのですか。」と二言三言挨拶を交わした後、握手を求められた。「良い旅を。」
ここEriceから、私の中世が始まろうとしている。
Ericeの日の出 1 | Ericeの日の出 2 | Ericeの日の出 3 |
10月6日 Palermo
名残り欲しいEriceからバスに乗ってTrapaniまで下った。そこで、Palermo行き11時発のバスを待ったのだが、いつまで待ってもバスは来ない。結局、この11時発のバスは来ないまま、次の11時35分発の満員のバスに乗った。
バスの欠運なんて頻繁にあるのだろうか。日本では考えられないが‥。
Palermoに到着し、ホテルに入った。まだ、時間があるので、シチリア州立美術館に行ってみることにした。ところが、地図を見ながらその場所へ行っても何の看板もない。それらしいところの扉を開けて、「シチリア州立美術館はどこですか。」と聞くと、「ここだよ。」という。続けて「11月まで休館だよ。」
何の看板も何の張り紙もない。不親切極まりない。私達のような路頭に迷っている観光客を多く見かけるのだ。
Palermoは外部の人間に対して、容易に心を開かないところのようだ。
10月7日 Valdesi
このホテルから港は近い。6時40分頃、ホテルを出て、海岸の公園へ向かった。ジョギングしている人もいれば、浮浪している人もいる。ジョギングしている人はrich man。浮浪している人はpoor man。実にわかりやすい。
さて、私が撮影をしていると、浮浪者が近づいてきた。流暢な英語で話しかけてきた。
「パスポートを紛失したから、ここに滞在せざるを得なくなってしまった。もし、可能なら、1ユーロ頂戴。」
上品な物乞いだった。
さて、今日は久しぶりのクライミング。ウキウキしながら、Valdesiへ向かった。体が鈍っているので、体を動かせること自体が楽しい。
岩場は4-5日毎に降る土砂降りの雨のため、染みだしが止まらない。濡れてないルートを選んで登った。Crisi 5c, Assalti Frontali 6b+, Oss'i Cani 6a+
Palermoの日の出 | バックの山はMonte Pellegrino | Assalti Frontali 6b+, Valdesi |
10月8日 Valdesi
今日はValdesiの隣りのクライミングエリアPabloに行くつもりだった。その岩場の様子を見に少し高いところに上った。そして、その岩場を眺めると大きな洞窟があり、驚いたことに、その洞窟の前で人がギターを弾きながら歌っている。どうも、その洞窟の住人としか思えない。
お邪魔をする気にもなれないので、退散することにした。
という分けで、今日もValdesiの岩場に行くことになった。とは言え、Valdesiで登っていないルートは沢山ある。
今日はイタリア人クライマーが2グループ7人来ていた。皆さん、トポを見ながらトライしているので、地元のクライマーではないのかもしれない。それでも、私たちの貸し切りではなく、他のクライマーもいると、何となくほっとするのだった。Il Pregiudicato 5a, 18/06/94 6a, Senza None 6a
昨日、チキンを五羽串刺しにし、その串を何本も入れてローストしている店を見つけた。午後7時から売り出すというので行ってみた。カウンタのお姉さんに英語で話してもまったくわからない。結局、「ウーノ(ひとつ)、まるごと」と手で形を作ると理解してくれた。10ユーロ払うと整理券をくれる。たくさんの人が店の前で待っているのだ。
15分ほど待つと、店の奥から店員が出て来て、オーブンから串を2本取り出した。チキン10羽分だ。整理券の番号を一人一人呼ぶ。山ほどのフレンチフライの上に焼き上がったばかりのチキンをパックし、それぞれに手渡した。
早速、ホテルに持ち帰って食べると旨い。チキンまるごと一羽がたったの10ユーロ。そして、三人で食べても食べきれない。安さと旨さで幸せを感じるひとときだった。
10月9日 パラティーナ礼拝堂
これまでPalermoでは一度として観光スポットに入っていない。ことごとく拒絶され続けている。
今日こそはという意気込みで、Monrealeに向かった。109番のバスに乗り、Piazza Independenzaで389番に乗り換える。
Monrealeは1170年頃作られたアラブ・ノルマン様式の教会である。中庭の回廊の作りは確かにキリスト教としては不思議な感じがする。カオスという言葉にふさわしいシチリアならではのものだろう。
次に、パラティーナ礼拝堂とノルマン王宮に向かった。ノルマン王宮は現在でもシチリア州議会に使われているらしい。12世紀にノルマン人のロジェロ2世がアラブ人を追い出して、シチリア王国を建てて以来の威厳と格式がそこにあった。
Monrealeのキオストロ | アラブ様式の柱廊 | パラティーナ礼拝堂 |
10月10日 シチリア人の親切
昨日、パッラロ市場へ行く狭い路地を歩いていると、突然、車が止まり、おじさんがいろいろと忠告してくれた。はっきりと何を言っているのかわからなかったが、私風に解釈すると、
「良い撮影が出来たかね。しかし、肩からかけているカメラを道路側に持っていたら危ない。二人乗りのバイクにやられてしまう。カメラが盗られたら、せっかくの撮影も台無しだろう。気を付けた方がいいよ。」
そして、今日、ハム・チーズ屋さんに入っているとき、店に入ってきたおばさんがしきりに何かを言い出した。すると、この店のご主人も慌てて、私たちをせき立てた。
私たちはハムとチーズを買いたいだけなのに、何を言ってるんだろう?
よく聞くとこういう話である。私たちは店に入る前に、クライミングギアが入ったザックを店の表に置いた。もちろん、店の中に持ち込むと邪魔になるからである。このザックを彼らは心配してくれていたのだ。
「泥棒に持っていかれるから、早くザックを店の中に入れた方がよい」と、・・・。実際は私たち3人は二人が店に入り、一人はザックの見張りをしていたのだが・・・。
貧しく厳しい環境の中で生きるシチリア人の心の暖かさを感じたのだった。
10月11日 マッシモ劇場
朝、目が覚めると、ザッーという雨音が聞こえた。今日から天気が崩れるのだろう。当然、今日のクライミングは中止である。
頭を観光モードに切り替える。まずはマッシモ劇場を訪れた。さすがイタリア、オペラの殿堂の地である。ウィーンのムジークフェラインザールを思わせる観客席だ。ロイヤルボックスへ通じる待合室に入ると、ふと、京都山科・醍醐寺の皇室の間を思い出した。そうそう、このマッシモ劇場で、Godfather part 3のクライマックスシーンが撮影されたことはすでに述べた通り。これで私たちも少し、コルレオーネ家にお近付きになれたのかしら?
アラブ風の作りのサン・カタルド教会を出たとき、ばったりと例のHIS新宿のシチリア人と会った。これが3度目だ。彼から美味しいTrattoriaのお店を聞いて入った。うーん。美味!
Trattoria 1 | Trattoria 2 | Trattoria 3 |
10月12日 Palermoクライミングのまとめ
結局、今回の旅でクライミングを行ったのは、Palermoだけである。Palermoのクライミングについてまとめてみよう。
●クライミングエリア: シチリアは至る所に断崖絶壁がある。そういう意味では無限の可能性がある。しかし、実際に開拓されているところはまだ限られているようだ。
その最大の理由は、アクティブな地元クライマーが少ないからであろう。あまり開拓も進んでいないし、メンテナンスもされていない。ぺんぺん草は生え放題なので、見栄えもパッとしない。
それにもうひとつ、岩屋や洞窟に浮浪者が住み着いているところがあり、あまり近づけない。
惜しいなあ。蒼い海、蒼い空があり、整備されれば、最高級のクライミングスポットになる可能性があるのに‥。
●岩質: 石灰岩。タイ・プラナンほどコルネは発達していないが、色や岩の感触は似ている。あまり登りこまれていないので、ホールドやスタンスがてかてかに輝いているということはない。
●シーズン: 今回、9月下旬から10月初旬まで滞在したわけだが、この時期はまだ染みだしがある。帰る頃になって、ようやく乾き始めた感じ。クライミングのベストシーズンは11月に入ってから冬の時期がよいのではなかろうか。
●交通手段: Monte Pellegrinoの岩場ならば、バスで行くことができる。他のエリアへ行くにはやはり車が必要だ。ここのレンタカーはマニュアル車がほとんどで、道路は狭く混雑し、クラクション鳴らし放題という事情では運転する気になれなかった。
●宿泊: 私たちはPalermoのホテルに泊まったけれど、白いビーチがあるMondelloに宿泊できれば岩場は近いし、リゾート気分を満喫できること間違いない。
10月13日 大いなるシチリア
シチリアの人達は男性も女性もお洒落だ。そして、海の幸、山の幸が豊富で食事も美味しい。言うなれば美人美食家だ。一方で、街の教会やモニュメントにはぺんぺん草が生え、街の通りはゴミだらけ、犬の糞だらけなのだ。
私にはお洒落で美食家の美男美女がゴミだらけ糞だらけの街を闊歩する姿が滑稽に見えてならないのだが・・・。
でも、それはあまりに表面的なことだ。
シチリアは数多の民族によって征服された歴史をもつ。ギリシャ人、カルタゴ人、ローマ人、ゲルマン民族、アラブ人、ノルマン人、イスパニア人・・・。
クリント・イーストウッド主演のグラントリノの映画のように、新しい民族が来るたびに新しい人間関係を作ろうと試み続けたのがシチリア人ではなかったか。良いことも悪いことも含めて・・・。
今や地球の人口は60億人を越え、人種のカオスの時代に突入しようとしている。太陽が燦燦と輝き、蒼い空、蒼い海をもつこの美しい小さな島は、数千年に渡ってカオスを経験してきたのだ。この島の知恵が地球上の人類の知恵に発展するときがいつかは来るのかもしれない。