« 2012年02月 | メイン | 2012年04月 »
2012年03月28日
たそがれクライマー奮闘記(9) フェース・クライミング テクニック
フェース・クライミング テクニックについては、いろいろと話をしなければいけないと思うが、その前に一般の人はどのような登り方ならば出来るのだろうか。
単純に言うと、ハシゴならば登れるのである。岩の形状がハシゴのようになっているならば、誰もが登れるのである。ところが、岩の形状はハシゴのようにはなっていない。それでも、これから、クライミングを始めようとするビギナーはハシゴのように岩を登ろうとする。それが問題なのだ。
では、何をどのようにすれば登れるようになるか。それも美しく・・・。
美しいクライマーはムーブに淀みがない。時には抱え込み、時には屈伸し、時には伸身になる。流れるようにスムーズに、そして、ダイナミックに動く。これをビギナーに真似しろと言っても、すぐには出来るわけがない。そこでどうするかというと、美しいクライマーのひとつひとつの動きを分解し、まずはそのひとつの動きだけを出来るようにする。次にもうひとつ。そして、もうひとつ。最後にそれを繋げていく。
まずは頭の中で思考実験し、なるほどと思ったら、それを実際に行動に移してみる。そこが重要だ。単に行動だけしていてもなかなかうまくならないし、例え登れたとしても自己流の癖がついたりして美しく登れるようにはならない。美しく登るイメージを常に頭で考えて、それを繰り返し練習するということが必要だ。だから、ビデオカメラで自分の動きを撮影して、自分自身がどのように動いているのかを見ることは非常に役に立つ。上手なクライマーと自分の動きを比較すれば、問題点は明確になる。
問題点が明確になれば、自分に欠けているところを意識してトレーニングする。そうすれば、短期間で美しいクライマーに近付くことができる。まずはひとつひとつ意識してやってみよう。
投稿者 sue_originalcv : 23:08 | トラックバック
たそがれクライマー奮闘記(8) もうひとつの安定したポーズ
人間は伸身でまっすぐに立っているとき最も安定しているが、それと同様に、もうひとつ安定したポーズがある。相撲でいう「蹲踞(そんきょ)」の姿勢だ。
クライミングでは片足を大きく上げて、ハイステップで完全に膝を曲げて乗り込んでしまったとき、片足蹲踞のような姿勢になることもある。これも安定しているのだ。
伸身の美しさはクラシックバレエを連想させるが、蹲踞の美しさはコサックダンスを連想させる。
ま、いろんなダンスが出来るようになった方が引き出しが増えてよい。
投稿者 sue_originalcv : 08:16 | トラックバック
2012年03月25日
たそがれクライマー奮闘記(7) スラブクライミング・テクニック
まだ、前提としたいことはたくさんあるが、前置きばかりが長くなるのでつまらない。ここで具体的に話を進めて行こう。
スラブを美しく登るにはどうすればよいか。結論を言うと、伸身で登ればいいのである。それは何かと言うと、一歩一歩完全に乗り込んで登っていけばいいのである。まず、一方の足をフットスタンスに置く。そして、そこに完全に乗り込む。そのとき、頭の先から、足のくるぶしまでは一直線である。膝が曲がってはいけないし、腰も曲がってはいけない。イメージ的には片足でヤジロベエのように立っている状態だ。次にもう一方の足を次のスタンスに置き、同様に完全に乗り込む。両手と軸足でないもう一方の足は補助をする程度。これを続けていければ理想形だ。
初心者にはこれができない。抱え込みの姿勢から、抱え込みの姿勢へと移る。例えば、右足をフットスタンスに置き、立ち込もうとするが、完全に膝や腰が伸び切る前に、左足を次のフットスタンスへ出してしまう。つまり、へっぴり腰の状態で登り続けてしまうということだ。これはやはり美しくはない。
と、偉そうに話はしたものの、実は私も出来ないのだ。時々、FTGスクールの皆さんと小川山で一緒に登ることがある。私は簡単なところから登り始める。5.8、そして、5.9。この辺りまでは完全に乗り込む姿勢というのを意識して登るのだが、5.10a、10bとなると段々と怪しくなってくる。5.10d以上は私にはお手上げだ。
「スエさん、そんなへっぴり腰じゃ登れないわよ。」とFTGの生徒さんから言われる。わかっちゃいるけど修正できないのだ。傾斜が相当にきつくなる状態で、膝や腰を伸ばして立っていられないのである。FTGの生徒さんの方がはるかにうまい。
小川山の開拓者の一人であるHさんからは「親指の付け根にぐっと力を入れて立ち込むんだ」と言われるが、なかなか出来ない。FTGのTさんは簡単そうに登っていく。驚いたことに、Tさんは親指の付け根だけではなく、親指の付け根から先の爪先部分がべたっと壁に付いている。足首の関節が相当に柔らかくないと出来ないことだ。
スラブの想い出と言えば、宮崎県の雌鉾岳に行ったとき、鹿川庵のメンバーであるYさんは1ピッチ目を両手を着かずに、普通の道を歩くようにスタスタと登っていってしまった。エーーーって感じ。また、韓国のインスボンのクラックを登っていたとき、FTGのTさんは傾斜が少しでも緩くなると、クラックを登らずにスラブをスタスタと登ってきた。エーーーっ、普通はクラックを登るでしょって、感じ。
私もスラブを美しく登りたい。次回生まれ変わってくることがあったらTさんのように柔らかい足首の関節を持ったクライマーになりたい。こんなことを考えていると、Hさんからは努力が足りないと叱られそうだ。
投稿者 sue_originalcv : 22:36 | トラックバック
たそがれクライマー奮闘記(6) 人間の体の動きで美しいものとは?
私は仕事柄、いろいろな現場で撮影をして来た。クラシックバレエ、ソーシャルダンス、ヒップホップダンス・・・。人間の体の変化の美しさ、そして、その本質をこれだと定義することは極めて難しい。
しかし、そうは言ってもある種の傾向があるのではないかと思う。誰でもが出来るムーブよりも、誰もが出来ないムーブを美しいと感じるのではないかということだ。そこで閃いたのが器械体操の宙返りの姿勢だ。
まず、スタートするのは抱え込み、次に屈伸、そして、最後に伸身と続く。あまりに単純化し過ぎて申し訳ないのだが、抱え込みよりも屈伸の方が美しい、そして、屈伸よりも伸身の方が美しいと定義して話を進めていけばどうだろうか。また、そう考える根拠のひとつはその姿勢がもつ自由度だ。かつてムーンサルトというものがあったけれども抱え込みで回転系の技を出すことは難しい。伸身であるからこそ、2回転、3回転、4回転という技が出て来る。だから、抱え込み、屈伸、伸身という順序は美しさの基準であると同時に、回転系の動きの自由度の大きさでもあると思うのだ。
これをクライミングに当てはめて話を進めていくとどうなるだろうか。
投稿者 sue_originalcv : 00:18 | トラックバック
2012年03月23日
たそがれクライマー奮闘記(5) クライミング・テクニック
さて、引き出しをひとつひとつ開けていくのだが、それにはその土台となるものがある。それはあらゆるものに共通するように思える。ある人はそれをテクニック(技術)だという。そして、それが磨きに磨かれた段階に入ると美しいアートの世界になる。
私がまったくの初心者のときに、鷹取山へ行ったことがある。当時、日本のチャンプであったTさんがハングしているマッシュを登っていた。クライムアップし、クライムダウンする。そして、左に、右にトラバースする。自由自在なのだ。圧巻だったのはルーフとなっている端までクライミングダウンしたとき、両足が空中にぶらりと下がっている。その状態で腹筋を使って脚を振り、その脚を垂直の壁にぴったりと付けた。そして、レスト。その後、再び、クライムアップしたのだった。
それは「上手だ」とか、「すごい」とか言う言葉をはるかに超えたものだ。真っ白なキャンバスに向かって自由に描いてという状態。単に美しいというにはもったいないほどの美。
私自身も永年、クライミングをし、また、ビデオカメラでクライマーを撮影してきた。難易度の高いルートを登るクライマーもたくさん見てきた。しかし、美しいと思えるクライマーは片手で数えるぐらいに少ない。何故、美しいのだろうか。その美しさの原点は何なのだろうか。私自身は下手なクライマーであるが、ビデオカメラマンとして、その思うところを次に述べていきたいと思う。
投稿者 sue_originalcv : 23:44 | トラックバック
たそがれクライマー奮闘記(4) 今はクライミング界の踊り場
ラバーソールが開発され、人間の手足の動きを最大限に活かすクライミングの形が出来て久しい。今はボルダリングジムもたくさん出来て、クライミング人口は増し、その裾野は広がっている。それはそれで喜ばしいことではあるが、私には何か不安なのである。
私が小さい頃はボールをころがしてピンを倒すスポーツであるボーリングが流行した。誰も彼もがシューズを買い、時には自分のボールを買った。だが、今やボーリング場なんて、捜す方が難しい。流行は長い短いはあるが、いつかは廃る。今のボルダリングジムのブームもボーリングと同じようにならなければよいが・・・。
流行は廃る原因は簡単だ。それに飽きるから。だから、飽きないように長続きするためには奥が深くなければならない。突き詰めても突き詰めても先があるような何か。或いは、そこから変化して新しいアプリケーションが創り出されて行く何か。
今、クライミング界は踊り場に来ているような気がする。次はどちらの方向へ行くのだろうか。時代を切り開くクリエーターにはわかっているのかもしれない。私のような人間は昔の引き出しをひとつひとつ開けて、何か面白いものがないかどうかを確認していくしかないのだが・・・。
投稿者 sue_originalcv : 08:07 | トラックバック
2012年03月21日
たそがれクライマー奮闘記(3) クライミングというジャンルの横幅
一概にクライミングと言っても、その横幅は広い。もちろん、クライミングの世界にも流行があるわけで、その時代によってクライマーが集うところが変わってきた。
エベレストを中心に最高峰のピークに達することを求めた時代。谷川岳に代表されるようなより難しい岩壁をあらゆる手段を駆使して登った時代。ラバーソールが開発されてエイドを使わずにより高難度の岩壁を登る時代などなど。氷を登るアイスクライミングや沢登りなども含めると、クライミングの裾野は相当に広い。
これらのどれひとつを取っても、それを極めようとすれば膨大な時間と努力とお金が必要になる。
そして、もうひとつ言っておこう。過去になされた輝かしい栄光を2番手で達成したとしても、その輝きは小さいということだ。つまり、何か新しいことを常に求めていくのが人間の本質であるということなのだ。
投稿者 sue_originalcv : 23:27 | トラックバック
2012年03月20日
城山 ジゴロ
投稿者 sue_originalcv : 20:13 | トラックバック
2012年03月18日
たそがれクライマー奮闘記(2) クライマーの評価
全国津々浦々、次のような会話を耳にする。
「あの人は、***クライマーなのよ。」
「へー、すごいね。」
そして、***のところは、トウェルブ、サーティーン、フォーティーン、フィフティーンと言う訳で、話のパターンとしては同じわけだ。
つまり、一般的なクライマーの評価としては難易度の高いグレードを登った者が優秀なクライマーということになる。
ところが、私はトウェルブを登った時点で、その先のグレードを無理に追及しないと決めたので、クライマーとしてはそれ以上に評価されることが無くなった。評価されることが無くなったクライマーのモチベーションは低くなるのも当然だった。
グレードを追求せずに、クライミングを楽しむことは出来るのだろうか。
グレードを追求しなくなったその時から、たそがれクライマーの道を歩みだしたと言ってよい。それはある意味で苦難の道であり、また違う意味で、新しいクライミングの楽しみ方を模索する方法を選んだということでもあった。
投稿者 sue_originalcv : 19:47 | トラックバック
2012年03月17日
たそがれクライマー奮闘記(1) 最高グレード
最近はあまりオリジナル・クライミング・ビデオサイトの更新も芳しくないとうこともあって、ぼちぼちと自分と自分の周辺の出来事を書くのも良いかなという気になってきた。無理しない程度に少しずつ書いていこうと思う。
さて、私の最高グレードはRPで5.12b、OSで7a+である。7a+をオンサイトしたのはタイのプラナンだったが、ビレイヤーが信用出来ず、かつ、ここで落ちたら大変なことになると必死の形相で登ったものだ。いわゆる、火事場の底力で達成したのだった、トホホ。
とはいえ、それも随分と昔の話で、私の最高グレードはそこで止まった。というより、それ以上のグレードを追求することに興味を持てなくなった。
もともと私がフリークライミングを真面目に始めるようになった1990年後半当時は、5.12を登るクライマーは少なかったし、あこがれの的だった。だから、私もその頃、5.12を目指し、5.12を登れるようになるためにはどのような努力も惜しまないと思っていた。毎週末には岩場へ足を運んだ。今思うと、最もクライミングが楽しい時期だった。
しかし、どのようにすれば5.12を登れるようになるのか、わからない。当時、日本語のハウツー本などほとんど無かったので、Eric J. Horst著「How to Climb 5.12」を買って来て、会社へ通う通勤電車の中でむさぼるように読んだ。
「Chapter 1. Yes, You Can Climb 5.12!」 このフレーズだけで心が躍ったものだ。私にも出来る。
そして、とうとう5.12を登った時、私のグレード追求に対する興味は潮のように引いていった。