[撮影四方山話] 母と子
- オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。
先月、山梨県 瑞牆山・十一面岩にある「錦秋カナトコルート」を登ってきたのですが、このルート名にある「錦秋」という言葉にふさわしい季節に入って来ました。
-----------------------------ーー
<目次>
1.[撮影四方山話] 母と子
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 → 「手紙」
-----------------------------ーー
1.[撮影四方山話] 母と子
今年91歳になる母の想い出について、少々筆を執ります。
1960年代は高度経済成長に乗り、日本が一番活気に溢れていた時代でした。当時は父が働き、母が専業主婦として子育てに頑張るという姿が一般的でした。
そんな中、私の家族はいろいろな事情があり、母が働き、父が専業主夫(!)として子育てに走るといった具合で、一般的な家族とは趣きを異にしていたのです。
当時、小学校への提出書類の中に、「お父さんの職業」という入力欄がありました。しかし、「お母さんの職業」という入力欄はないのです。
父に「この欄、どう書くと?」と問うたところ、「俺は無職なんだから、無職でいい!」とすげない答え。
その通りを書いて学校に提出すると、当時から、いたずらっ子だった私のところへ先生が来て、「お父さん、働いてないと?早く真面目に働くように言わんと」と言って、私の頭にゲンコツをゴツンとくれました。
大きなお世話なのですが、周りの人達は私の家族をそのような目で見ていたということでしょう。
その後、私は大学入試に失敗。再トライしても志望大学には入れず、やむなく、母が推した大学に受かりました。母は苦しい家計の中で、なんとかお金を作り出し、私に仕送りしてくれていました。
しかし、私は将来に何の望みも持てず、大学の授業にはほとんど出席していませんでした。
やっていることといえば、朝10時のパチンコの新装開店で列に並んでいるのがやっと。少しお金が出来ると飲み屋のバーに通っているという有様。大学の授業の出席よりも飲み屋のバーへの出席の方が多かったぐらいです。
それから随分と時間が経ってから、母から聞かされました。
「あの頃は大変だったわね。苦しい家計の中でなんとかやりくりして、あなたに仕送りしていたのよ。でも、当時、それが私の生き甲斐だったの。」
母が社会にインパクトを与えて、社会に大きく貢献してきたことを考えれば、私がこれまでにやってきたことは母の足元にもはるか遠く及びません。
私がもう少しまともになった姿を見てもらうまで、母には長生きをしてもらいたいと思いますが・・・。
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品
作品名「手紙」
制作 神奈川県男性
作品時間 8分
母子家庭に育った格闘家Aさんが母へ送ったビデオレターから私の感想も含めて紹介します。
Aさんは幼稚園の頃から、お母さんが大好きだった子供でした。毎日、幼稚園の門まで、手をつないで通っていたそうです。
小学校になるとサッカーを始めますが、周りの子が父親と一緒にボールを蹴っているのに、自分だけがそれを出来ずに寂しい思いをしていました。
中学校に入ると家庭内が荒れました。毎日、けんか。それが嫌で家出をして友人宅に転がり込んだものの、お母さんは大きな声を出してAさんを捜しに来たそうです。
中学校では遅刻続きで、私立の高校へ入ることも難しいような状況でした。しかし、Aさんは奮起して勉強。見事に公立高校へ入学しました。
それでタガが外れたのか、高校の成績はビリから数えた方が早いほど。友人と一緒に物を盗っちゃったり、夜に小学校のプールでお泳いだりと、お母さんが呼び出されることが頻繁でした。
高校も卒業を迎える頃、今後の進路について、学校の担当の先生、お母さん、そして、本人であるAさんとの3者面談が行われました。Aさんは自分の進路について語りました。
「大学へは行かない。就職もしない。私は格闘家になる。」
もちろん、学校の先生は大反対。ところがお母さんは次のように言って、先生を説得したのです。
「この子の人生だから、この子の好きなようにさせてあげたいんです。」
そこから、Aさんはプロの格闘家としての道がスタートしました。
プロのデビュー戦の準備を着実に進めていき、デビュー戦も間近というとき、Aさんが大好きだったおじいちゃんが亡くなりました。
そのショックでAさんはお母さんに「デビュー戦に出ない」と言ったところ、お母さんは次のように語ったのです。
「おじいちゃんはなんで孫が殴られるところを見なきゃならんのだ、と言っていたけど、本当は楽しみにしていたのよ。きっとどこかで見てくれているはずだから、頑張ってデビュー戦をやりなさい。」
Aさんがお母さんから「やりなさい」と言われたのはそのときが初めてだったそうです。
そして、プロのデビュー戦。
ぎっしりと詰まった会場はAさんが登場するのを今か今かと待ち構えていました。
Aさんがゲートから出てリングへの花道に出てくると、ウォーと会場が盛り上がりました。Aさんを励まそうと花道でAさんの肩を友人が次々と叩きます。
そして、リングに上がると「***!、***!、***!」とAさんの名前を呼ぶシュプレヒコールが会場全体から巻き起こりました。
そのとき、お母さんの気持ちはどうだったのでしょうか。
地響きのように体に伝わってくるAさんの名前を呼ぶシュプレヒコール。体全体に鳥肌が立ち、身震いするような緊張感。多くの人を虜にしてリング上に立つ自分の息子の勇姿。
これだけの人を集客できるというのは強いというだけではありません。Aさんに多くの人たちを魅惑する人望があるからでしょう。それがお母さんにわからないはずはありません。どんなにか、自分の息子を誇りに思ったことか・・・。
試合は一方的にAさんが圧倒して勝ちました。花道でAさんに次々と花束が贈られました。そこに集まったすべての人の笑顔がAさんの財産なのではないでしょうか。