[PR] 夏休みの想い出をビデオで残そう!パート2
- オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。
アテネ オリンピックは、あっという間に終わってしまいました。日本人選手の活躍は目を見張るものがありました。「経済が苦しいときにはスポーツが強くなる」というのが私の持論です。今回はそれを証明したといえる??
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<目次>
0.公開ご希望の新着ビデオ作品 「パミールの3つの峠」
1.こんなことも出来る!? → 夏休みの想い出をビデオで残そう!パート2
2.先月のビデオ作品 → 「パミールの3つの峠」
3.ビデオ撮影上達の秘訣 → 第14回 空間の表現 (2)日本人の感覚
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0.公開ご希望の新着ビデオ作品 「パミールの3つの峠」
1.こんなことも出来る!? → 夏休みの想い出をビデオで残そう!パート2
アテネ オリンピックの期間、私は大阪へ行ったり来たりでなんともあわただしいけれども充実した日々を送りました。皆さんはいかがですか。アテネ オリンピックと重ね合わせて貴重な体験を残された方も多いのではないでしょうか。
もし、その記録をビデオに撮られているならば、大切な思い出として必ず編集して残しましょう。
お忙しくて手が回らないという方は当方になんなりとご相談ください。
2.先月のビデオ作品
作品名「パミールの3つの峠」
編集 Original CV
制作・著作 神奈川ヒマラヤンクラブ
作品時間 76分 (テープ録画時間 360分)
神奈川ヒマラヤンクラブのメンバーの方からこのビデオテープをお預かりし最初に拝見したときに何かジーンと熱くなるものがあった。
このビデオテープは10年前の1994年にパキスタン北部にあるパミールの3つの峠を撮影したものである。撮影した方は隊員のお一人で、プロのカメラクルーではない。当時の8mmのビデオカメラの技術の限界と、カメラワークの拙さがあるにはある。しかし、そういうテクニックだけの世界ではない、何かもっと大きなものを伝えたいという想いが映像からひしひしと伝わってくるのである。
広大な草原で夏村となっているボロゴル峠(3,804m)、切り立ったU字谷の中に美しい湖をもつカランバール峠(4,343m)、ズィンディハーラム氷河を歩いて越えるダルコット峠(4,575m)。すべてはパミールならではの光景であろう。
しかしながら、この地を踏んだ外国人は非常に少ない。よって、この映像は現在にいたってもその価値をまったく失っていないのである。
また、ここには世界を変えた歴史がある。
8世紀に、東の文化圏である唐と西の文化圏であるイスラム帝国がこの地で衝突した。唐の高仙芝将軍は1万の兵士とともに、ダルコット峠越えの壮挙を果たし、一時、パミールを制圧したが、タラスの戦いで敗れた。このとき、唐の技術者が捕らえられ、初めて製紙法が西側文化圏へと伝えられたのである。
そして、製紙法は10世紀にカイロへ、12-13世紀に神聖ローマ帝国に伝わった。
15世紀にグーテンベルクが活版印刷術を発明すると、16世紀にはルターがこの活版印刷で聖書やビラを頒布し、宗教改革を起こした。同時に、識字率があがり、ヨーロッパの文化レベルは一気に高まった。このエネルギーが16-17世紀の大航海時代へとつながり、そして、18世紀の産業革命でヨーロッパの優位は揺らぎないものとなるのである。
紙という知識を表わす源泉が、このパミールを越えて西側文化圏へ移っていったという事実。ダルコット峠を越えていかねばならなかった兵士達がこの歴史を知ったとすればどのように感じるであろうか。
人里から遠く離れ、厳しくも美しい自然の中にあるパミールにも、歴史は押し寄せていたのである。隊員達は時空を越えてパミールを肌で感じ、そして、その事実を私達に伝えようとしている。
その姿に心が熱くならざるを得ないのである。
このDVDを購入ご希望の方は、神奈川ヒマラヤンクラブ(尾上弘司様spantik@nifty.com )までご連絡ください。
3.ビデオ撮影上達の秘訣
第14回 空間の表現 (2)日本人の感覚
前回は空間の表現の1話として枠の芸術について説明しました。今回は空間の表現の2話として、日本人の感覚について説明します。
枠という縛られた環境の中で、いかに空間を表現するのか。それは難問です。
しかし、私達は日本が誇る素晴らしい先達から多くを学ぶことができます。京都・三十三間堂の1001体ある観音像の左右に風神・雷神像があります。あなたがこれをご覧になった後、俵屋宗達の風神雷神図屏風をご覧になったとしたら、どのように感じられるでしょうか。前者の2像から、後者を容易に想像できるでしょうか。
この驚くべきばかりの大胆な構図。左右に風神、雷神像が描かれているけれども真中はあまりにも何もない広大な空間。世界に例がない構図です。
また、日本の庭には石が置かれますが、その配置はどのようにして決めるのでしょう。遠近法ではない、一見、無作為に置かれているようにも見えるけれど、それは絶妙なバランスを要しています。この感覚は日本人しかもっていないのではないかと思うのです。
私達日本人は当たり前のようにその環境に育っていますので、言葉では表わせないけれど、それをとっさに表現してしまう感覚をもっていると思います。
ファインダ-を覗いたとき、自分を信じて空間を表現しようとすること。自分が俵屋宗達や、石屋さんになった気持ちで枠を切ること。そうすれば、日本人しか表現できない世界がそこに発見できるように思います。
次回は、「空間の表現 (3)空間を生かす」について説明します。では、次回をお楽しみに。