[撮影四方山話] 世代を橋渡しする貴重な記録
- オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。
未明に仕事をしていると、鈴虫が応援してくれるようになって来ました。
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<目次>
1.[撮影四方山話] 世代を橋渡しする貴重な記録
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 → 「*** スポーツ
クライミング2014-2015」
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1.[撮影四方山話] 世代を橋渡しする貴重な記録
昨年、兄から「どうにかしてうまく保存できないかなあ」という理由で、赤い表紙の冊子が送られて来ました。
それは「大河の前の紆余曲折」と題して、30数年前に父が製作したものです。文章はガリ版で刷り、写真は焼き増ししたものを張り付けてありました。
内容は祖母の米寿祝いを主として、祖母の口述した生い立ちや家系図、そして、時代背景も記されていました。
この祖母の米寿祝いは、父、母、伯母の3人が祖母の兄弟姉妹全員と親族を実家に招いて催した、3人にとっては一世一代の企画だったのです。
実を言うと、その時に私もそこにいましたが、ちゃらんぽらんな大学生だった私は言われるがままにその場にいたというだけのことでした。
催し後、暫く経ってこの冊子を父から見せてもらいました。
パラパラとめくって「よく作ったね」とは言ったものの何の興味も持ちませんでした。
そして、兄から送られてくるまでの30数年間、この冊子の存在をきれいさっぱり忘れていたのです。
父がこの冊子を製作した歳と同じ年代になった今、これを再び読み返すと、父の祖母に対する愛情と感謝の気持ちが行間から痛いほど伝わってきます。
もし、この冊子が残っていなければ、父の気持ちが永遠に私に伝わらなかったと思うと、この冊子は世代を橋渡しした貴重な記録と言えます。もちろん、今では我が家の家宝です。
「書きっ放しの文章、撮りっ放しの写真やビデオ。それらは素材であって気持ちを伝える記録にはなっていない。
本、写真アルバム、ビデオ作品というように整理してこそ、世代を橋渡しする貴重な記録となる。」
そのお手本を父は30数年前に私に示してくれていたのです。
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品
作品名 「*** スポーツクライミング2014-2015」
制作 オリジナル・シー・ヴイ
作品時間 35分
先日、一本の電話がかかって来ました。Aさんからです。どことなく話の糸口を見つけづらいような口調でした。
「この前、末次さんに撮ってもらったクライミング映像がどうやら私の最後のものになってしまったようです。・・・」
お話を伺うと、複数の内蔵疾患でお医者さんからもクライミングのような激しい運動は無理だと言われたそうです。
とうとうこの日が来たか、と内心思いました。この1-2年間はAさんの体調が許す限りご一緒して、まめにAさんのクライミング姿を撮り続けて来ました。でも、・・・。
Aさんと知り合ったのは2000年前後、鷹取山です。今振り返ると、この頃、私たちには共通の目標があったように思います。
それはインターネットを通してフリークライミングを普及させること。
2000年頃というと、インターネットもまだまだ黎明期で、回線速度が128kbpsとか256kbpsといったような時代でした。インターネットに繋ぐ環境を作るだけでも膨大な設備投資費用が必要でしたが、Aさんはそれを構築し、フリークライマーに向けてメーリングリストなどのサービスを無償で提供していました。
それはフリークライミングの底辺が広がっていない中で、貴重なコミュニティの場だったのです。
フリークライマーの人口が増えてくると、マナーを知らないビギナーが岩場の地元住民とトラブルを起こすようなことも出て来ましたので、Aさんは地元住民とクライマーの間に入って、そのクッション役も兼ねて来ました。
一方、私の方は超低速回線の中で、いち早くクライミングの動画配信を試みました。サイコロのような画像サイズの中に紙芝居のような動画を配信するだけも大変だったのです。
また、その頃、毎年タイ・プラナンに通い始めていましたが、プラナンについて、インターネット上で有益な情報はほとんどありませんでした。
そこで、プラナンで撮影し制作したビデオ作品をインターネット上で紹介して、ビデオ作品のコピーを無償配布していたのです。当時のクライマーにとっては貴重な情報源だったと思います。
その後、ギリシャ、イタリア、米国、韓国、カナダ、スペインで撮影し制作した動画を配信し旅行記も掲載しましたので、これらを情報源として海外に出ていったクライマーも多いと思います。
思い返せば、約15年間、Aさんとはたくさんの口論も致しましたが、クライミングを共にさせていただけたのはお互いが頑固で屁理屈好き、そして、時代に先駆けて新しいことをすることが何よりも好きだったからではないかと思っています。
これからAさんはクライミング以外のフィールドでご活躍されると思いますが、私のビデオカメラはいつまでもAさんを追い続けていくことでしょう。