[撮影四方山話] 古代の数字 72、108、54
- オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。
春の海ではないけれど、ひねもすのたりのたり、している毎日かと思えば・・・・。
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<目次>
1.[撮影四方山話] 古代の数字 72、108、54
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「***スポーツクライミング2015」
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1.[撮影四方山話] 古代の数字 72、108、54
今、グラハム・ハンコック著「神々の指紋」、「神々の魔術」を目を皿のようにして読んでいます。
初めて、アインシュタインの相対性理論を読んだときと同じようなショックを味わっています。中でも圧巻なのはエジプトのギザのピラミッドとスフィンクスについての説明です。
ギザの三つのピラミッドはオリオン座の真ん中にある三つの星とまったく同じだと言うのです。三つのピラミッドの配置とオリオン座の三つの星の配置は寸分の狂いもなく、そして、ピラミッドの大きさは星の明るさに比例しているというのです。つまり、ギザのピラミッドはオリオン座を模しています。
さらに、スフィンクスは獅子座を模しているのではないかというのです。
では、この三つのピラミッドとスフィンクスは何を示唆しようとしているのでしょうか?
地球の歳差運動を考慮しながら計算すると、春分の日の夜明けにスフィンクスの顔の向いている真東の位置に獅子座が来て、そして、その子午線上の位置にピラミッドを投影したオリオン座が来るのは紀元前1万5百年。
ずばり、著者はピラミッドとスフィンクスの巨大建造物は紀元前1万500年に高度な文明を持つ人々によって建設されたと推測しているのです。
もし、著者の仮説を受け入れるならば、私たちが学校で学んできた世界史などはぶっ飛んでしまいます。かと言って、著者の完璧なロジックに反論出来る余地があるように思えません。
一方、次の説明については?です。
「だが、先に述べたように、ローマ人は極端に古い伝承を受け継ぎ、伝えて来た。そこでジュピター神殿に本来あった柱の数が五四本だったのは偶然ではないかもしれない。読者は、第10章と第11章で取り上げた歳差運動を思い出すだろう。
さらには世界中の古代神話や伝承に符号化された「歳差の数字」の謎を思い出すだろう。これはジョルジュ・デ・サンティラーナとヘルタ・フォン・デヒェント両教授が、高度な天文学の知識を証拠としたものだ。この知識はいまだに正体不明の「信じがたい」祖先の文明から伝えられている。
五四という数字は歳差の数の一つだ。この数字は、歳差運動の一度分の年数七二から来ている。この七二に三六(七二の半分)を加えると一〇八になり、一〇八を二で割ると五四になる。両教授は画期的は研究書である『ハムレットの臼』の中で、カンボジアのアンコールワットにある像が並んだ道を取り上げている。像が「通りごとに一〇八体、片側に五四体ずつ」あり、意図的に歳差を使った象徴的表現だという。」
私にとって、この数字の説明はわかりづらいのです。それよりも正五角形を作るときに現れて来る数字だと言った方がわかりやすいように思えます。
正五角形の中心から角に向けて5本の線を引きますと五個の同じ形の二等辺三角形が出来ます。そのひとつの二等辺三角形の中心角は360°÷5=72°です。その中心角を除いた2つの角度は180°-72°=108°、そして、これは二等辺三角形なので、ひとつの角度は108°÷2=54°です。
ここから、72、108、54という数字が出て来ます。
そして、その正五角形の定理を見てみますと
- 正五角形の一辺と対角線との比は、黄金比に等しい。
- 正五角形の交わる対角線は、互いに他を黄金比に分ける。
- 対角線の長さが互いに全て等しい正多角形は、正五角形と長方形(正方形)のみである。
つまり、古代人にとって、正五角形こそが調和が取れた最も美しい形だったのではないでしょうか。ですから、神聖なものを作るとき、その調和の美しさを示唆する72、108、54を好んで使ったのだと思います。
除夜の鐘で叩く、煩悩の数108というのも、存外、このようなところから出てきているのかもしれません。さて、皆さんのご意見はいかがでしょうか。
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品
作品名 「***スポーツクライミング2015」
制作 Original CV
作品時間 16分
仏教用語で「四苦八苦」という言葉があります。
四苦とは生老病死。生まれること、老いること、病むこと、死すことの苦しみ。
そして、八苦でいう残り四つの苦しみとは、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦。愛する人と別れていかなければならない苦しみ、恨み憎しんでいる人と会っていかなければいけない苦しみ、求めるものが得られない苦しみ、そして、・・・・。
五蘊盛苦とはこの漢字だけを見ていると何のことかよくわかりません。
五蘊とは色・受・想・行・識(身体・感覚・概念・心で決めたこと・記憶)ですが、・・・。
「五蘊盛苦」の元のパーリ語は、「パンチャ・ウパーダーナ・カンダ・ドゥッカ」という言葉で、 「パンチャ」は「五つ」、「ウパーダーナ」は「執着する、固執する」、「カンダ」は「要素(蘊)」、「ドゥッカ」は「苦」という意味なので、 「五つの要素に執着する苦しみ」というのが原文の意味だそうです。漢訳の「五蘊盛苦」では「ウパーダーナ」、つまり「執着する」という意味が入っておらず、原文のニュアンスが伝わりにくい訳となっているのだそうですが、これでもまだよくわかりません。
有名なお寺のホームページでこの五蘊盛苦の解説を読みましたが、どれも字面を追っているだけでピンと来る説明はありませんでした。
ところが、ある日、何かの本でわかりやすい説明に出会いました。
五蘊の中で、色は身体を表し、受・想・行・識は心を表します。「ウパーダーナ」は執着すると言葉通りに捉えるのではなく、今風に言うとバランスを取れないと解釈すればよいというのです。
つまり、五蘊盛苦とは身体と心のバランスが取れない苦しみだというのです。これならピンと来ます。
上手なクライマーのムーブをたくさんビデオで見てテクニックを研究している私は当然ながらそのテクニックが頭の中で(心で)わかっているはずなのですが、実際に岩場へ行って自分でやってみるとまったく身体が反応しません。
身体と心のバランスが取れていない五蘊盛苦を山と言うほど経験しているのです。
言い換えれば、私が岩場へ行ってクライミングをするということは四苦八苦の苦行を繰り返していただけということになってしまいそうです。もっともっともっと苦行を積んで身体と心のバランスが取れるようになればいいんですがね~~~。
すみません。前置きが随分と長くなってしまいました。
この度、お二人の女性クライマーのビデオ作品「***スポーツクライミング2015」をそれぞれ作りました。
撮影している日時、場所が重なっていますので、その映像を編集して作り出す2つのビデオ作品は同じような感じになるのだろうと皆さんは思われるかもしれません。
しかし、そうはならないのです。それはお二人の個性が違うから・・・。
Aさんは体の中心線がストレートで、その重心に立つ感覚が際立っています。いわゆる天才肌です。多くのクライマーを見て来ましたが、このような感覚を持つクライマーはそんなに多くいません。
例えて言えば、白鳥の湖を踊っているクラシックバレエのダンサーが中心線がまったぶれることなくクルクルと回り、体の伸身のラインがきれいに伸びている感じです。体操でいうスワンですね。
そのAさんの映像の1カットをトリミングするとき、ストレートなイメージが出来上がっているので、クライミングのムーブ以外の動作の映像は省いていきます。そうすると短めなテンポのカットが連続していきます。
ここにアップテンポなビートの効いたBGMを入れると、アーバン・エレガントでスタイリッシュなビデオ作品が出来上がります。
Bさんは以前に比べてパワーがついて来ましたので、ハイステップに立ち込んでいくようなムーブが多くなって来ました。また、体が柔らかく、粘りがあります。
そのBさんの映像の1カットをトリミングするとき、クライミングのシーケンスを模索しているような粘りのある部分はカットせず、出来る限り採用していきます。そうすると長めなテンポのカットが続きます。
ここには心の綾をよんでいるようなBGMを入れると、エモーショナルなビデオ作品が出来上がります。
今回紹介したビデオ作品はふたつの例です。BGMの入れ方はあえてわかっていながら逆の効果を狙って入れたりすることもあるので、様々です。その時々の編集者の感性ですね。
最終的にどのようなビデオ作品になるかはGod knowsです。そして、そのビデオ作品の効果はGod bless youでしょう。