[撮影四方山話] 廃校
- オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。
『理性を失わせる八百屋さん』に掲げられたある日のメッセージ。
「いつまでもあると思うな、親と金とブロッコリー」
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<目次>
1.[撮影四方山話] 廃校
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「統合への日々」
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1.[撮影四方山話] 廃校
北九州市立大場谷小学校は2003年に廃校となりました。我が母校です。
あの白鵬でも記録を塗り替えることが出来ていない69連勝の記録。
その偉大な記録保持者の双葉山が過去に訪れて、土俵開きを行ったと聞いています。その土俵は、私がこの小学校に通っていた頃にもグランドの隅に残っていました。
しかし、今はがらんとした空き地が残るだけ。校舎はとっくの昔に壊されて更地になっています。大きな桜の木だけが昔の想い出を少し残しているだけです。
大場谷(おおばたに)小学校の名称の由来は、建てられたところが大場ヶ谷という狭い谷間にあったからでしょう。この名称には小さな「ヶ」が入っています。
そこで近隣の小学校の悪童たちは私たちの小学校をご丁寧にも小さな「ヶ」を入れ、そして、「に」を「れ」に代えて、「おおばかたれ小学校」と呼んでいました。
学業の成績は悪くても、人の悪口を言わせたら天下一品という輩は多くいるものです。
しかし、大場谷小学校の校歌の一番をじっくりと読んでいると、この作詞者もまた、近隣の悪童たちと同じように、私たちのことを見ていたのではないかと思えない節もないのです。
「美しい国、日本」とスローガンを掲げた瞬間、今は美しくないんだということがわかるように・・・。
<< 大場谷小学校校歌 >>
「照る陽に匂う 皿倉の
山並みはるか 仰ぐとき
さとく賢く 育てよと
あの青雲が 呼んでいる
そうだ 育てよと 呼んでいる
ああ われら 良い子の大場谷」
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品
作品名 「統合への日々」
制作 ***中学校
時間 7分
ある中学校の先生から電話がかかって来ました。
「今度、創立70周年記念の行事を行うので、そのスライドショーの作成を依頼したいのです。」
「わかりました。場合によっては長い歴史の年表などを作成したり、説明のためのナレーション台本を作成しなければならないので、関連する資料をお送りください。」
「いえいえ、そんな大それたものではないんです。約10年前にふたつの中学校が統合されて現在に至っているので、その10年前の統合のときの写真をスライドショーにしていただければいいのです。」
「・・・・」
わかったような、わからないようなスライドショー作成の依頼なのですが、お断りする理由もないのでお引き受けすることにしました。
全体像を掴みたいので、早い段階でいろいろな資料を送って下さるようにお願いしたのですが、お忙しいのでしょうか、なかなか資料が届きません。
漸く行事開催の約一月前になって、スライドショー用の写真が送られて来ました。
封筒の中には、写真のデータが書き込んでいるDVD1枚だけが入っていました。その他のメモなどは一切なしです。
そのDVDの中には約100枚の写真が入っていましたが、それだけです。説明文などは一切なし。
うーん、これだけで何が出来る???
いやいや、私の想像力を駆使して何でもやっていいというのであれば出来ないことは何もないのですが、それがお客様のご要求を満たすかは大いに疑問。
そこでもう一度、先生に「何かきっかけになる資料はないでしょうか」と要求をしてみますと、一冊の記念誌が送られて来ました。
「創立47周年記念誌」
これは統合後廃校になってしまった中学校の最後に発行された記念誌なのです。
6800名の卒業生を世に送り出しながらも、少子化という時代の流れの中で、ここに歴史の幕を閉じなければならなかった無念さが滲むように伝わって来ます。
当時の校長先生は3年後に迫った50周年の記念行事をPTAの皆さんと協議をしていたと言いますから、この統合の話はいかに寝耳に水のことだったのかがわかります。
それでも生徒たちの将来を考え、ご自分の職務を全うされようとしている校長先生の姿が目に浮かびます。
「本校は、いくら生徒数が少なくとも志や精神は不変であり、生徒一人ひとりを大事にし、共に学び、共に育つという目標・方針は変わりません。『通わせてよかった、学んでよかった』と言える学校作りにたえず努力し、混乱なく両校が統合になることが大きな責任だと自覚しております。」
そして、校長先生はこの歴史に幕を閉じる最後の一年間をどのようなお気持ちで生徒たちに接していたのかを想像しますと胸が詰まります。
この瞬間、私はこのスライドショーをどのようにすべきなのか、いや、何をしなければならないのかが鮮明に脳裏に浮かびました。もう何も迷うことはなかったのです。