[撮影四方山話] 豊前・宇都宮氏
- オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。
秋分の日の夜明け前、獅子座は東の地平線に、オリオン座は南の上空に輝きました。
エジプト・ギザのスフィンクスとピラミッド。それらが暗示する時期と合致しているのならば、Xデーは近い?
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<目次>
1.[撮影四方山話] 豊前・宇都宮氏
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「民宿『***』」(未完成)
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1.[撮影四方山話] 豊前・宇都宮氏
1185年、壇ノ浦の戦いで、平氏が滅亡した後、源頼朝は諸国に守護・地頭を置きました。
特に、九州は平氏の力が強かったところですので、有力御家人として筑前に武藤氏、豊後に大友氏、薩摩に島津氏を守護として配置しました。
と同時に、宇都宮大明神(二荒山神社)の座主を務めたこともあり、頼朝に信望の篤かった宇都宮氏(初代、宇都宮信房)を豊前の地頭として派遣しました。
それ以降、宇都宮氏は鎌倉、南北朝、室町の各時代を通して、民心を掌握し、豊前に根を張った活動を続けました。
そして、戦国時代。豊臣秀吉は九州平定に乗り出し、豊前に黒田如水・長政の親子を送り出しました。如水は降伏を促す文書を国人(在地領主)に向けて通達し、降伏しない国人は巨大な遠征軍の圧倒的なパワーでねじ伏せました。
一旦は平定したかに見えた豊前ですが、太閤検地が始まると国人が蜂起。国人一揆が勃発しました。それもそのはず、太閤検地とは土地所有の領地権を国人から奪い、全国規模で直接に管理するのが狙いだからです。
このとき、豊前で最大の国人・宇都宮鎮房は黒田長政と直接対決することになりました。
初戦の岩丸山合戦では黒田長政は九死に一生を得る大敗北。なんとか城井谷の西側の尾根に向城を構築し、宇都宮鎮房の動きを封じました。
黒田長政は宇都宮鎮房を牽制しながら、他の一揆衆の鎮圧を先に進める策に出ました。観音原合戦を制し、次々に一揆を鎮圧し、長岩城、犬丸城を落として、最後に残るは宇都宮鎮房の大平城のみ。
ここで黒田長政は山岳戦が得意な宇都宮鎮房に真っ向勝負を挑めばたとえ制圧することが出来たとしても大きな兵力の消耗を来すと判断し、宇都宮鎮房に講和を呼びかけます。
宇都宮鎮房はこの講和に応じ、降伏の形を取りました。嫡子・朝房と娘の鶴姫を人質として差し出し、豊前国人一揆はすべて平定されました。
その翌年、黒田長政は宇都宮鎮房を中津城に呼び出し、酒宴の席上で謀殺。嫡子・朝房も殺され、娘・鶴姫は磔にされました。
この謀略に、豊前の民衆は憤り、黒田氏を呪ったと言います。黒田長政が後に福岡藩主となっても、怪火や悪病が起こっては宇都宮氏のたたりのせいだとされました。
<参考文献> 松山護著「豊前・宇都宮氏」、松山護著「城井・宇都宮氏の滅亡」
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品
作品名 「民宿『***』」(未完成)
制作 オリジナル・シー・ヴイ
撮影 5分
今年の春先、兄夫婦から誘われました。
「民宿『***』。泊るところは離れになっているし、とても広いわよ。パンも自作出来るし、楽しいよ。何と言っても民宿を経営してるご夫婦自ら作った野菜で食べきれないほどたくさんの料理が出るの。
あっ、そうそう、近くにオートポリスがあるわ。」
「何、それ。オートポリスって? 自動警察???」
「ノンノンノンノンノーン! 鈴鹿サーキットのような九州におけるモータースポーツの聖地よ。」
「へぇ~~~。そんじゃ、行ってみますか。」
向かうは大分県日田市。ところが途中から急な山道になり、車がすれ違えないほど狭い道が延々と続きます。
「本当にこんな山ん中に民宿があるの?」
と言ってる内に少し開けた山間に出て左に曲がり、少し進むと右手にありました。主屋と離れ、それにパン工房の3棟の家が建っており、民宿を経営しているご夫婦は主屋に、私たちのような客は離れに泊ることになります。
早速、主屋のご夫婦にあいさつに行きました。
「今回もお世話になります。宜しくお願いします。」
「こちらこそ。着くのが少し早かったわね。すぐにパンを自作してみる?」
と奥様から声をかけて下さったのですが、最近、大怪我をされたそうで足を引きずっているお姿が痛々しい。
でも、背筋がピンと伸びていて立ち姿がきれいです。後で地元で発行された新聞の記事を読むと、お茶や陶芸、お謡いに弓道など多彩な趣味をもっておられ、しかもすべて師範級の腕前とか・・・。
なんだか頷けるのです。
「まだ着いたばかりですので、離れで少し休みます。パン工房でのパン作りは少し後で・・・。」
その間に、私は一人で周りを散歩してみました。畑から山の傾斜部分にタラの木がたくさん植えてありました。
後で聞くと、タラを千本も植えてるとか・・・。半端な数ではありません。
そして、主屋の方に回り、庭を少し見させて頂いたのですが、なんだか違う・・・。垢抜けているのです。何でもかんでも木を植えて、ごちゃごちゃして作っているのではありません。
バランス良く配置された庭石があり、その間に程よく木が育てられています。小さな庭の中に大きな広い空間を感じるのです。普通の農家とは少し違う・・・。
その後、パン工房で奥様のパン作り教室が開かれ、私たちは自ら作った出来立てのパンを頂きました。素人が作ったとは思えないほど、ちまたの店に出してもおかしくない出来栄えです。
陽が沈むとご夫婦は食材をもって離れの方にやって来られました。ここで奥様のご自慢の手料理が披露されました。次から次へと、工夫された美味しい手料理の皿が山のように出されます。
それらを前にして、ご主人とはお酒を酌み交わしながら、お話しを聞かせて頂きました。
「庭がとてもきれいですね。普通の農家とは違うような・・・。」
「10年以上前に、北九州の門司からこちらに引っ越して来て、農業を始めたんです。この地域の皆さんには大変お世話になったので、その御恩返しと思って、少しでも多くの人にこの地域の良さを知ってもらいたいと、民宿を始めたんです。」
私はふと、最近、父の蔵書の中から読んだ本を想い出しながら尋ねました。
「表札を拝見すると『宇都宮』さんとなっていますが、豊前・城井谷の宇都宮氏と何か関係があるのでしょうか。」
「ええ、そうなんです。家系図を見るとところどころ途切れていますが、先祖はそうだと言われています。」
なんとご主人は豊前・宇都宮氏の末裔でいらしたわけです。世の中、何が起こるかわかりません。この山の中でこんな出会いがあるとは・・・。