[撮影四方山話] 「末*」という名
- オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。
”希望”は人間の典型的な妄想。最大の強さであり、弱さの源でもある。
(Hope, it is the quintessetial human delusion, simultaneously the source of your greatest strength, and your greatest weakness.)
--- 映画『マトリックス リローディッド』より
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<目次>
1.[撮影四方山話] 「末*」という名
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「(仮称)糸島のお土産」(未完成)
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1.[撮影四方山話] 「末*」という名
私の小中高校のときの朝のホームルームの出欠シーンです。
「安倍君」、「はい」 ・・・
「小池さん」、「はい」 ・・・
そして、さ行に入り、「す」の欄になると、
「末田さん」、「はい」
「末次くん」、「はい」
「末永さん」、「はい」
「末松さん」、「はい」
「末光さん」、「はい」
「末吉さん」、「はい」 ・・・
やたらと「末」の付く名字が多かったのです。
その後、就職して関東方面に行くと、「末」の付く名字の方にあまり出会いません。たまに、出会って、出身地を伺ってみると九州北部という方がほとんどでした。
こうなると「末」という文字の起点になるものが九州北部にあるに違いないのです。
例えば、藤原氏が京から下向し、伊勢に行くと伊藤氏、近江に行くと近藤氏、加賀に行くと加藤氏となります。「藤」という名を一字残しながら出自の高貴さを物語っていると言えます。
では、それと同じようなことが「末」という文字に対して言えるのどうかが問題です。
そこで、以前から目を付けていたのが魏志倭人伝にある「末盧国」です。
末盧国の出身者が他国に移住するとき、「末」という一字を取って名字を名乗ったのではないかと・・・。そして、「末」という一字を残すだけの何かしら誇れるような理由がそこにあったのではないかと・・・。
では、末盧国とはどのような国なのでしょうか。
末盧国は魏志倭人伝の中で、邪馬台国へ行くまでの途中の国として記録されています。
帯方郡 → 狗邪韓国 → 対馬国 → 一支国 → 末盧国 →伊都国 → 奴国 → 不弥国 → 投馬国 → 邪馬台国
4番目の一支国の一支は「いき」と読み、現在の壱岐です。そして、5番目の末盧国の末盧は「まつら」と読み、松浦のことです。
松浦は現在、長崎県松浦市、北松浦郡、南松浦郡、そして、佐賀県東松浦郡、西松浦郡にまたがる広い地域です。
ここは言うまでもなく、日本本島の最西端。地形的には山が海岸まで迫っていて、米が豊富に取れるような広い平野はありません。一方、鷹島などの島々に囲まれた伊万里湾があり、天然の良港ですので、自然と水稲耕作よりも漁猟の方が盛んだったでしょう。
それよりも何よりも、ここは朝鮮半島に一番近く、当時の倭の交易の玄関口です。ここから三韓や中国の各地に出かけて行ったに違いないのです。
それはあたかもギリシャ人がエーゲ海を、フェニキア人が地中海を海の民として駆け回ったように、末盧(松浦)の人々も日本海、黄海、東シナ海を駆け回っていたのではないでしょうか。
その海の民としてのプライドが、末盧国出身者に「末」という一字をその名字に残させた理由ではないかと思うのです。
それをどのように証明するかということは難しいことですが、名字がそのまま地名になるという慣習もありますので、古い地図を出して来て松浦市を円の中心に置き、その円を徐々に外に広げるようにして、「末」の名の付く地名を捜していけば、何かしらの手がかりが見つかるのではないかと思いました。
これを思いついた当時、平成の大合併で地名はどんどん変わっていくし、古い地図を引っ張り出して来るのも面倒なので、そのまま放置しているうちにトンと忘れていたのでした。
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品
作品名 「(仮称)糸島のお土産」(未完成)
制作 オリジナル・シー・ヴイ
撮影 5分
朝7時過ぎ、ピックアップにいらして下さった車に乗り込みました。私が最後ですので、参加者5人全員揃い踏みです。
「おはようございます。あいにくの雨ですね。」
この日は九重に山登りに行くことになっていたのですが、天気は雨。宿泊先のコテージはすでに予約しているので、キャンセルするわけにもいきません。
このような時、5人の中には暗黙の了解が出来ていて、ドライバーのAさんにその日の行き先を一任しているのです。Aさんが機転を利かせ、山登りから観光モードに切り替えて、どこかに連れて行って下さるというわけ。
行く先はAさんの頭の中にだけあり、同乗している4人にはわかりません。
さて、本日はどこへ行くのでしょうか?
北九州都市高速に乗り、その後、九州自動車に乗り継いで西へ。さらに、福岡都市高速に入って行きました。西へ西へと進みます。九重は南にあるんですけど・・・。
いよいよ海岸線に出て来ました。右手に博多湾があり、能古島が間近に見えます。そして、左手は背振山地の山並みが連なっています。
元寇防塁の史跡を越え、生の松原を通り過ぎました。松林の海岸線がなんとも美しい。
そして、とうとうたどり着いた先は、伊都国歴史博物館!
田んぼの真ん中にドンとある感じ。瑞梅寺川と雷山川に挟まれた実り多き水田地帯の中です。
博物館の中は立派な展示室になっていて、説明員の方が懇切丁寧に案内して下さりました。
まず、地区全体を知るために、この地区の地形モデルがあるところへ行き、それを指さしながらの説明です。
「ここが三雲(みくも)・井原(いわら)遺跡です。伊都国の中心と考えられるところです。そして、ここが平原(ひらばる)遺跡です。日本最大の直径46.5cmの銅鏡が出たところです。・・・
ここら辺一帯を伊都国と呼び、そして、その北側のこちら一帯を志摩国と呼びます。伊都と志摩ですので、現在はその漢字を置き換えて、福岡県糸島郡と言ってるんです。」
「あっ、なるほど。」
この伊都国の地図をじっと見ていると、あるところで目が釘付けになりました。末永という地名があるのです。
そして、今度は志摩国の地図を見ていると、末松という地名を見つけました。
「末」の名の付く地名が近くに2箇所もあるのです。松浦市からは直線で約50kmの距離です。
これはひょっとして・・・。
帰宅した後、早速、父が使っていた昭和50年代の地図帳を引っ張り出して来て、松浦市を中心に「末」の付く地名がないかを捜し始めました。
世の中、そんなに甘くはないので、なかなか簡単に見つけられませんが・・・。
あった! 佐賀県佐賀市の佐賀大学の西に末広、そして、南東に末次という地名があります。ここも松浦市からは直線で約50kmの距離です。
さらに、あった! 福岡県小郡市の西鉄大牟田線の端間駅と鰺坂駅の間の東にも末次という地名があります。ここは松浦市からは直線で約70kmの距離です。
なんと、このふたつの末次を直線で結ぶとその真ん中辺りに、邪馬台国の遺跡ではないかと空前の一大ブームになり、全国から100万人以上の歴史ファンが訪れた吉野ケ里遺跡があるのです。
卑弥呼と末次に何らかの繋がりがあるのでしょうか?
そして、九州全県と山口県を調べますと、「末」の名の付く地名は全部で23か所ありました。
その内、海岸線から5km以内にあるところが13か所、そして、川を河口から遡航して行けるところが5か所でした。
つまり、船を使えば容易にたどり着くところが約80%なのです。
これはギリシャ人やフェニキア人が海岸線沿いの各地に植民都市を建設していった構図と変わらないのではないでしょうか。
いよいよ、「末」の名字をもつ人々が末盧国出身者であるという確信が深まって来ました。