[撮影四方山話] 歴史
- オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。
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<目次>
1.[撮影四方山話] 歴史
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「Homer sometimes ... - Climbing in Kalymnos -」(後編)
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1.[撮影四方山話] 歴史
ヘロドトスの著書「歴史」は壮大なペルシャ戦争を描いた作品として有名ですが、この著書の中の巻二(エウテルペの巻)に、トロイ戦争に関して驚くべきことが書かれているのです。
ヘロドトスがエジプトの祭司に聞いたところによると、パリスはスパルタからヘレネを奪い母国(トロイ)に向ったがエーゲ海に入って烈風に流され、エジプトに漂着したというのです。時のエジプト王であるプロテウスは次のように判決を下しました。
「かりに余が、風によって流されわが国に漂着した外人は決して殺さぬことを信条としておらぬならば、必ずや予はかのギリシャ人に代わってお前に誅罰を加えたであろうぞ。もてなしを受けながら世にも非道な行為を働いた、この怪しからぬ不埒者め。歓待をしてくれた者の妻に手を出すとは何たることじゃ。しかもそれにあきたらず、女を唆し夫の許より奪いとって逐電をはかりおった。いやいやそれでもなお足らずとして、恩人の屋敷を荒し財宝を奪って参ったのじゃ。
さてしかし、予は外人を殺さぬことを信条としておる故に、このように致そう。この女と財宝とはお前に持ち去らすわけにはゆかぬ。お前が客となったかのギリシャ人が、自身でこの地に参り持ち帰ろうというまで、彼のために予が預かっておく。お前と連れの者共は、三日の内にわが国を退散し他の国へ移るように申し付ける。もし命に背けば、敵として扱われるであろうぞ。」(ヘロドトス『歴史』(上)松平千秋訳 岩波文庫)
つまり、ヘレネと奪った財宝はエジプトにあるのであって、トロイにはない!
ヘロドトスが言うには、ギリシャ軍がトロイに着き、ヘレネと奪った財宝の返還を要求すると、トロイ軍側は「それらはエジプトのプロテウス王の許にあって、ここにはない。」との答えだった。ギリシャ軍はトロイ軍に愚弄されていると思い込み、トロイを包囲攻撃し、ついには占領した。しかし、占領してみてもヘレネは現れず、相変わらず前と同じ話を聞かされるに及んで、ようやくはじめの話を信じ、スパルタ王のメネラオスをエジプト王のプロテウスの許へやった。メネラオスはプロテウスから非常な歓待を受け、無事のままのヘレネと財宝を返してもらった。・・・
ヘロドトスはホメロスも知っていたはずだと述べているのですが、それが事実だとしたら、トロイ戦争とはいったい何だったのでしょうか。戦争の大義であった奪われたヘレネと財宝はトロイに無かったのです。それでもトロイは滅びなければならない運命だったというのでしょうか。
トロイ戦争は紀元前1200年に起きたのですが、それから約3200年が経った今日、私たちは相変わらず同じような戦争を繰り返しています。
2003年3月20日、イラク戦争が勃発。この戦争の大義は大量破壊兵器にあったのですが、結局、それは見つかりませんでした。
人類は歴史から何を学んでいるのでしょうか。「歴史は繰り返す」というどうしようもない人間の性を未来も見続けなければいけないのでしょうか。当時、虚しさだけが残るなかで、クライマーの皆さんの協力を得てひとつの作品を作りました。
『No War』
https://www.originalcv.com/climbing/1606videoWorks/aWork/index.php?wnum=13
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品
作品名 「Homer sometimes ... - Climbing in Kalymnos -」(後編)
制作 Original CV
作品時間 59分
「折角、ギリシャまで行くのです。クライミングをしただけで帰って来るのはあまりにもったいない。」というAご夫妻のご意見で、カリムノス島から移動して、アテネに1週間弱滞在しました。
実を言うと、それまで私はクライミング以外の目的で、そんなに長く海外に滞在したことはなかったのです。
Aさん曰く、「ヨーロッパ各地の遺跡や文化施設を回ってそのひとつひとつを見ながら、その原点を追っていくと、それらはすべてギリシャに繋がり、ヨーロッパ最古の叙事詩を書いたホメロスにたどりつく。」
だからこそ、アテネをじっくりと見ていた方が良いということなのでしょう。
パルテノン神殿のあるアクロポリス、国立考古学博物館、ペルシャ戦争の舞台となったサラミス島など毎日、毎日、歩き回りました。クライミングよりもこちらの方が疲れましたが、百聞は一見に如かずの言葉通り、これまで本を読んで想像していた以上にはるかにスケールの大きい世界がそこに広がっていました。
その中でも最も心を揺さぶられたのはミケーネ遺跡でした。
ミケーネ遺跡はペロポネソス半島の中にありますので、私たちだけでは簡単に行けません。そこで、ミケーネ遺跡のバスツアーに申し込んだのです。朝、バスに乗り込むと女性のバスガイドがマイクを持って英語で話し始めました。
「皆さん、こんにちは。ギリシャ語で『こんにちは』は『カリメラ』。『カラマリ』じゃないわよ。」(『カラマリ』はイカのリング揚げ。)
笑ってやった方がいいんだろうなと思いつつも・・・。そうやって、バスツアーは始まりました。
アテネから出発して、両側が切り立った深い崖になっているコリントス運河を通り、ペロポネソス半島に入りました。エピダヴロス野外劇場を見た後、何とも美しいナフプリオンの港を通過。時間があるなら、ぜひとも一泊したい場所。そして、アルゴス平野に出て、いよいよミケーネ遺跡のある小高い丘に入っていきました。
バスが駐車場に停まると、そこから丘の頂上を目指して、歩いて登ります。遺跡の入り口には獅子の門があり、大きな三角石に2頭の獅子が彫られています。威厳という言葉が相応しい。その門を通って右手に、アガメムノン王の黄金のマスクが発掘された円形墓地があり、トロイを攻めたギリシャ軍総大将のアガメムノン王が居住していた王宮を通りました。そして、一番高いところにあるメガロンに出ると、アルゴス平野が下方に一面に広がっていました。丘の上からの絶景です。そのはるか向こうは海です。
「あの海からトロイに向けて、ギリシャ軍は出発していったんだ。ホメロスがヨーロッパ最古の叙事詩として書き、それを神話ではないと信じて発掘したシュリーマン。その事実がここにある。」
そう思うと膝ががくがくと震えて来ました。
「ここがヨーロッパ文化の出発点なんだ!」