[素晴らしい教材から] 周防灘(すおうなだ)
- オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。
メルマガ終了までのカウントダウン、「9」。
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<目次>
1.[素晴らしい教材から] 周防灘(すおうなだ)
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「クライミングと歴史探訪 ~スペルロンガ・フィレンツエ・ローマ~」(前編)
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1.[素晴らしい教材から] 周防灘(すおうなだ)
このメルマガも残すところ9回になって来ましたので、過去の話をするだけなく、これから未来に向けての取り組み、興味について話してみたいと思います。
九州へ帰って来て、父の書斎にある本を読んだり、北九州にまつわる伝記、神話を聴いたりしていると日本の古代について、物凄く興味が湧いて来ました。日本の古代については星の数ほどの文献がありますし、学者が語り、教科書が語る歴史があります。それをここで披露しても何の面白みもありません。
まだまだ勉強不足で浅い歴史の知識しかない私ですが、ギリシャ、ローマを実際に歩き回り見て来た視点から、日本の古代を見たらどのように映るのか、それを話してみたいと思います。「また、馬鹿なことを言っている」という程度に聴いていただければ結構です。しかし、私の話から歴史に興味を持つ方が増えたとしたら、これほど嬉しいことはありません。
紀元前10世紀から6世紀にかけて、エーゲ海、地中海は海の民としてのギリシャ人、フェニキア人が活躍し、各地に植民都市を作りました。一方、日本海、東シナ海、黄海は文献がほとんどないので、海の民としてどれほどの活躍があったのかは何もわかりません。
そこで、最初の私の視点ですが、古代より日本海、東シナ海、黄海においても、エーゲ海や地中海と同じように海の民が活躍していたのではないかというところから始まります。
では、ここで東アジアの地図を広げて見てみましょう。海の民の拠点として利用できる理想的な場所はどこでしょうか。内には守りやすく、外には交易をしやすいところ。
ズバリ、瀬戸内海にある周防灘です。そして、さらに伊予灘までを含めるとすればこれほど完ぺきな場所はありません。北西には穴門と言われた下関のある関門海峡、南には関サバで有名な速吸瀬戸と呼ばれる豊予海峡、西には伊予・松山の先にある釣島海峡、この狭い難所と言われる3つを抑えれば、その内海の安全は完全に保証されます。
守りやすいということは大変重要なことです。
今、税金というと社会保障費、教育費、国防費・・・など大変に複雑な用途に使われていますが、古代ローマにおいて、税金とは国防費だと言っても過言ではありません。ですから、守りやすいというのは防衛に人出をさかなくてよいので国防費が安くなり、税金が低くなります。よって、その地域の生産活動が活発になり、その地域が富むということに繋がっていくのです。
では、日本の古代において、この地域をどのように見ていたのかを探ってみましょう。
古事記の中に書かれている大八島国の生成です。イザナギノミコトとイザナミノミコトによって島が作られていくわけですが、これを大和から朝鮮半島を含む大陸との交易ルートと考えて聞いて下さい。
まず、淡路島が作られ、次に伊予を含む四国、隠岐、筑紫を含む九州、壱岐、対馬、佐渡、そして、最後に畿内の大和。
さらに、「然(しか)ありて後、還(かえ)ります時・・・」と続き、吉備の児島、小豆島、そして、周防大島、姫島と産んで行きます。数多ある瀬戸内海の島で、なぜ、この四つの島が選ばれたのでしょうか。もちろん、この四つの島は戦略的に重要な島だからこそ名前を残しているに違いありません。
児島、小豆島を含む吉備は日本で四番目に大きい造山古墳があります。ここに吉備水軍があったとみてよいでしょう。次に、周防大島、姫島ですが、姫島は国東半島の先端にある小さな島です。この周防大島と姫島を線で結ぶと、その線の北西は周防灘、南東は伊予灘なのです。
ここにも吉備水軍と同じような水軍があったと見ても差し支えないのでははいでしょうか。そして、その中心地として宇佐があるのです。
次回は宇佐について語ります。
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品
作品名 「クライミングと歴史探訪 ~スペルロンガ・フィレンツエ・ローマ~」(前編)
制作 Original CV
作品時間 59分
ギリシャの次は古代ローマ。ヨーロッパの歴史を学ぶ人には当然の順番でしょう。
そこで、今回の旅は古代ローマがテーマなので、クライミングはローマから列車で1時間程離れたスペルロンガという岩場を選びました。そして、もうひとつ、今回の旅の特長はレンタカーを使わず、すべて公共機関である鉄道やバスを使うということ。
安くてすむということと、時間に余裕があるから出来ることなのですが、日本とはまったく違った交通システムに面食らいました。
まずはチケットを買うというのはどこでも同じ。その後が違うのです。日本を含む東アジアの鉄道では自動改札機があり、そこにチケットを通して、プラットフォームに入っていきます。しかし、イタリアでは自動改札機などはなく、そのままプラットフォームに入ることが出来ますが、そのまま列車に乗ったのでは無賃乗車として捕まってしまいます。
ではどうするのかというと、駅の柱の横などところどころにチケットの自動刻印機が設置してありますので、そこにチケットを入れ、そのときの時刻を刻印してもらって始めてチケットが有効になるのです。有効時間は1日だったかな?
この自動刻印機のやり方だけを覚えておけば、鉄道、バスともすべて同じなので、すぐに慣れてしまいます。
次に鉄道です。発車の場合、日本ではブザーが鳴ったりして安全を喚起したりしますが、イタリアではそのような合図はありません。何の予兆もなく、時刻になると静かに発車します。下車の場合、日本では自動的に列車の扉が開きますが、イタリアでは手動すので、自分で扉を開けて降りなければなりません。また、事前に下車駅の案内など放送されませんので、自分で常に注意深く、どの駅に着いたのかをチェックしておかなければなりません。
でも、まだ鉄道は楽です。やはり、公共機関の核心はバスでしょう。このバスを自由に乗りこなすことが出来れば海外へ出ても何も恐れるものはありません。
ローマから鉄道で移動して、スペルロンガのホテルに入った後、早速、バスのチケットを売っている店に行きました。そのおじさんに、翌日から行こうとしている岩場に最も近いバス停留所の情報を聞いたのです。
「この地図の岩場に行きたいのだけど、どこのバス停留所で降りればよいでしょうか。」
「あーあ、それなら4つ目のトンネルを過ぎたバス停留所で降りればいいよ。」
「???」
初めて行くところなのに、いきなり4つ目のトンネルを過ぎたバス停留所と言われても・・・。実はスペルロンガではバス停留所それぞれに固有の名前を与えてないのです。日本では「新宿3丁目」とか「新橋1丁目」とか、バス停留所に固有の名前が与えられているのですが、それがないので、おじさんのような回答になってしまいます。
翌日、バスに乗った私たちはバス運転手に行きたいところの地図を見せて、その近くのバス停留所で降ろして欲しいと頼みました。バス運転手は頷いてバスを走らせ、「ここだよ」と言って私たちを降ろしてくれたのですが、そこはまったくの水平な砂浜。岩場の影も形もないところ。私たちに泳げって言ってるの?
近くにあったレストランへ行き、その従業員に地図を見せて、岩場のある方向を聞いたところ、この道路上のずーーっと向こうだということです。仕方ない。私たちは荷物を担いで1時間以上延々と歩きました。そこで漸く岩場へつながる小さな階段を見つけたのです。
クライミングを終えて、バスが通る元の道路まで戻って来たのですが、ホテルの方に向かう車線上にバス停留所がありません。手を振ればバスが停まるかとも思ったのですが、非情にもバスは停まってくれませんでした。窮しました。
その時ほど携帯電話がありがたいと思ったことはありませんでした。ソフトバンクに移行する前のボーダフォンの携帯を持っていたのですが、日本では繋がりにくくて不満でしたが、さすがヨーロッパに行けばどこでも繋がりました。その時宿泊していたホテルに電話をかけ、状況を説明し、ホテルからタクシーを呼んでもらったのです。
しばらくしてタクシーがやってきて乗り込むとドライバーは女性でした。話を聞くと夫婦でドライバーをしているとのこと。私たちにとっては女神のように見えたのです。
数日が経って、クライミングの休暇日に隣町のガエタに行ってみようということになりました。再び、バスに乗るのですが、ガエタが終点というバスはありません。いずれもガエタを通って、他の町に向かうバスなのです。
さて、バスに乗って周りの風景を見えていると、街中に入って来て賑やかなところに出て来ました。しかし、どこで降りればよいのか、そのタイミングがわかりませんでした。どこで降りようかと迷っている内にバスは街から出てしまい、田舎の風景に変わっていきます。
「Aさん、降りるタイミングを逃したみたいだけど、どうします?」
「こういうときは終着駅まで行くしかないじゃない。」
というわけで、終着駅で降りました。ここはフォルミアという地名なのですが、スペルロンガ、ガエタから見てどのような方向になるのかがわかりません。早速、駅へ行き、地図を買って確認しました。「あ、なるほど、ここまで来ちゃったんだ。戻らなきゃ。」
再び、ガエタ方面に行くバスに乗りますが、ここもガエタが終点というバスはありません。ガエタを通り過ぎてどこかの町に行くバスなのです。
今度こそ、ガエタでちゃんと降りなきゃ。作戦はひとつだけ。乗客が最もたくさん降りるところで、私たちも降りる。
見事、作戦は成功し、ガエタの中心部に着きました。一応、スペルロンガへ戻るため、スペルロンガ方面へ行くバス停留所を捜しておこうということになり、街行く人に英語で尋ねるのですが、誰一人、英語をしゃべれる人がいません。町の中心部をあっちでウロウロ、こっちでウロウロするのですが、バス停留所らしいところはどこにもないのです。今度も窮しました。
すると、バール(イタリアの喫茶店)の中から、手を振る人がいたのです。誰かと思ってバールに入っていくと、あのタクシードライバーの夫婦がそこでコーヒーを飲んでいたのです。
「ここで何してんの?」
「スペルロンガ行きのバス停留所を捜してたんだ。」
「あ、そう。まあコーヒー一杯おごるから、楽にすれば・・・。」
と言われて、私たちはコーヒーをおごってもらったのですが、同時に私たちの悩みも解決しました。彼らのタクシーに乗って、スペルロンガのホテルに戻ればいいのだから。
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