[素晴らしい教材から] 宇佐
- オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。
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<目次>
1.[素晴らしい教材から] 宇佐
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「クライミングと歴史探訪 ~スペルロンガ・フィレンツエ・ローマ~」(中編)
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1.[素晴らしい教材から] 宇佐
宇佐と言えば、伊勢神宮につぐ第二の宗廟として知られる宇佐神宮でしょう。
ここに古事記に隠されたトリックを解く第一の鍵があるのですが、それを語る前にいくつかの準備をしておかなければなりません。
宇佐を含む周防灘沿岸の豊前地域には3-7世紀にかけて多くの渡来人が住んでいたと考えられています。
奈良東大寺の正倉院に残っている戸籍の断簡から、豊前地域の各地区では「秦部(はたべ)」、「・・・勝(すぐり)」を名乗る渡来人の人口比率が7割から9割を占めていることがわかります。圧倒的な数字です。
また、遣隋使小野妹子に従って倭国に派遣された使者裴世清は「隋書倭国伝」で次のように記しています。
・・・又東して一支国(壱岐国)に至り、又竹斯国(筑紫国)に至り、又東して秦王国に至る。其の人華夏に同じ、・・・。
筑紫の東にあるのは豊前のことですから、それを秦王国と呼んでいるのです。周防灘は秦王灘をうつしたという説もありますから。そして、華夏というのは中国のことですから、そこに住んでいたのは中国人と同じだったと言っているわけです。
ここで古代日本に渡って来た人々について考えてみましょう。それはその時々の東アジアの情勢を抜きにして考えることは出来ません。
人類の歴史は小国への分裂と大国への統一を繰り返して発展して来ました。この大国へ統一する直前に大量の難民が発生します。東アジアでのその第一期は紀元前3世紀前後。中国では春秋戦国の分裂が終わり、秦が統一を果たし、その後に前漢へと続いていく時代。揚子江河口辺りから大量の難民が発生し東シナ海を渡って、朝鮮半島南岸や九州北部の博多湾沿いや遠賀川河口辺りに住み着きました。それらの人々を慣習的に弥生人と呼び、日本では縄文時代から弥生時代に変わる転機となりました。
その後、前漢、後漢と約400年間の統一された大国としての安定期が続きますが、紀元3世紀から三国時代、五胡十六国、南北朝を経て隋、唐が統一を果たす7世紀まで再び分裂の時代が続きます。その分裂の時期、朝鮮半島では楽浪郡、帯方郡の滅亡。高句麗、百済、新羅、加羅の領土争い後、加羅、百済が滅亡し、新羅が統一を果たします。その期間も大量の難民が発生し古代日本に渡って来ました。これが第二期であり、それらの人々を慣習的に渡来人と呼んでいるのです。
この頃の古代日本は17-19世紀にかけての新大陸アメリカと同じだったのではないかと思います。つまり、未開の肥沃な地。大陸ではなく島ですので、言うなれば新島日本ですが・・・。宗教戦争、皇位継承戦争が各地で続くヨーロッパ人が目指す新大陸アメリカと、領土争いが続く中国、朝鮮半島の人々が目指す新島日本は希望が叶えられる夢の地という意味で同じだったのではないでしょうか。
第二期の朝鮮半島から渡って来た渡来人はすでに第一期の弥生人が定着している博多湾沿いや遠賀川河口での争いを避けて、関門海峡を回り、まだあまり人の住んでいなかった宇佐に上陸。渡来人は新しい技術をもった工人が多く、各地から引手数多であったと考えられますので、宇佐から北九州、瀬戸内海沿岸、大和へと移住していったのではないでしょうか。、宇佐は新大陸アメリカにおけるニューヨークと同じような位置付けだったと思います。
次回は「不可解な古事記」について語ります。
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品
作品名 「クライミングと歴史探訪 ~スペルロンガ・フィレンツエ・ローマ~」(中編)
制作 Original CV
作品時間 59分
”花の都 フィレンツェ”。良い響きです。
そして、副題に”ルネッサンスの栄光を今に伝える”とあります。
この街のフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅に降り立った時、正直、重苦しさを感じました。今まで私たちはティレニア海沿岸の明るい街スペルロンガに滞在していたのです。それが内陸の地、それもルネッサンスとはいえ中世に違いありませんから、そのような街にタイムスリップして来たのですから、当然感じる雰囲気に違いありません。
ところがこの重苦しい街になんと観光客の多いことか。びっくりです。「皆さん、そんなに暗い世界が好きなんですか~。」
陽が暮れるまで少し時間があったので、ミケランジェロのダヴィデ像のあるアカデミア美術館に行ってみると長蛇の列。すぐに入館するのを諦めました。
翌日、私たちはフィレンツェの顔とも言えるウッフィツイ美術館に行きました。予約を入れていたので時刻通りに入れましたが、もし並んでいたら2時間は待たねばならなかったでしょう。
メディチ家の財力を結集したルネッサンス美術館と言われるだけのことはあります。教科書にも載っているボッティチェリの「春:プリマヴェーラ」を見ただけでも満足でした。
フィレンツェの街のこの重苦しさは何が原因かというとすべてが石で作られているということでしょうか。石畳の狭い路地、石で積み上げられた重厚な建築物。緑は南に流れるアルノ川を越えてミケランジェロ公園まで行かないと十分に見れない感じでした。
もともと中世の街ですから、現代の車社会に対応していないのですが、イタリア人は逞しい。この狭い路地で見事に縦列駐車をします。私にはこちらを見ている方がすごいなと感じました。
そうそう、TVのスイッチを入れるとたまたまコマーシャルが流れていました。若い青年が狭い路地で縦列駐車をしようと何度何度もトライするのですが、うまくいきません。そこに京塚昌子さんのような肝っ玉母さん(古い例えですみません)が出て来て、顔の前で人差し指を左右に振ります。若い青年から代わり、肝っ玉母さんが運転すると一回でぴたりと縦列駐車を決めてしまうのです。イタリアならではのコマーシャル。
そして、食料は北にある中央市場で手に入れるのですが、逆にこの中央市場以外で売っているところが少ないのです。日本であちらこちらにあるコンビニに慣れてしまっている私にとってはこれも不便だなと感じました。
たまたまサン・マルコ広場で開かれていた蚤の市に行ってみると嬉しいことにチーズがたくさん売っていました。日本で買ったら目が飛び出るような金額になるチーズをブロックごと買いました。本日飲むD.O.C.G.ワインに合わせます。こちらではチーズにも種類がたくさんあってどれを買ってよいのかわかりません。自分の感覚で美味しそうだなと思って買っても口に合わないことが多くあります。そこでこれも経験ですが、チーズを買うとき、自分の前に並んでいる地元の人が買うチーズをよく見ておきます。そして、地元の人が買ったチーズと同じものを買えば大体美味しくて値段もお手頃です。郷に入れば郷に従えということですね。
ビバ ワイン! ビバ チーズ!