[素晴らしい教材から] 仲哀記の真相!?
- オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。
今回がビデオ作品を紹介するメルマガとしては最後になります。
これまで、のべ約1万人の皆さんの映像を撮影・編集して来ました。
その中には、ノーベル賞受賞者がいるかと思えば、目をキラキラと輝かせる保育園児がいます。
首相経験者がいるかと思えば、公害訴訟原告団団長もいます。
70歳で単独太平洋処女航海したヨットマンがいるかと思えば、魯をうまく操れないボートマンもいます。
未踏峰を登頂した登山家がいるかと思えば、5.7をビビッて登れないトウェルブ・クライマーもいます。
華麗なバレリーナがいるかと思えば、妖艶なヒップホップダンサーがいたり、気合十分のよさこい踊りの踊り子たちもいます。
結婚披露宴でウェディングドレスを着て登場する新郎(!)がいるかと思えば、プラチナ婚式で曾孫にせがまれて、80歳のおばあちゃんのほっぺにチューをする88歳のおじいちゃんもいます。
このように、ジャンル、カテゴリーなどという垣根を越えて、たくさんの皆さんから撮影・編集の機会を与えて頂いたことを心より感謝します。
また、16年の長きにわたり、このメルマガにお付き合いいただいた読者の皆さんに感謝します。そして、最後にサポートをして頂いたすべての皆さんに、特に4年間もイラストを描き続けていただいた高橋ちずこさん、両親、家族、親族に心より感謝します。
メルマガが終了するとはいえ、お客様からご依頼がある限り、オリジナル・シー・ヴイは続いていきますので、今後とも宜しくお願いいたします。
そして、今、書いている歴史については今回で終わりになりませんでした。今後も「歴史の底流」と題して書き続けていきたいと思います。歴史のお遊びにお付き合い頂ける方は「歴史の底流購読希望」と書いて返信してください。その方のみ、今後も月一回程度で配信を続けていきます。
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<目次>
1.[素晴らしい教材から] 仲哀記の真相!?
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「Jeff s World」
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1.[素晴らしい教材から] 仲哀記の真相!?
具体的に仲哀記を見ていく前に、これまで述べて来たことから、九州の情勢について整理しておきましょう。
大和東征の旗揚げの地となった宇佐に宇佐水軍があり、この宇佐氏を中心として、宗像水軍と呉の末裔がいる日向の蘇我騎馬軍がこの遠征に参加します。
一方、北部九州には博多湾岸に朝鮮半島との交易があり、九州随一の実力を持っている住吉水軍、そして、安曇水軍がいます。
宇佐水軍、宗像水軍、蘇我騎馬軍の連合軍が大和東征を行うならば、その背後の守りを抑えておくことが絶対条件となります。つまり、住吉水軍と安曇水軍に「動かない」ということの確約を取っておく必要があります。
さて、この確約を簡単に取ることは出来るでしょうか。
新興勢力の宇佐水軍、宗像水軍、蘇我騎馬軍の連合軍よりも、既存勢力の住吉水軍、安曇水軍の方がはるかに実力が優っているのです。また、もともと住吉氏と安曇氏は中国北朝の魏と関係があり、蘇我氏が側近にいる中国南朝の呉の末裔といっても、「何する者ぞ」というぐらいの気位の高さはあったと思います。
極端な話をすれば、魏の曹操と呉の孫権を同じテーブルの席に着かせようとしていることと代わりありません。犬猿の仲なのです。
まずは両者を同じテーブルに着かせること。宇佐氏はこれを実現させるために、妙案を考え出しました。その妙案とは、
『加羅国から皇女を迎え入れ、呉の末裔に嫁がせること。これには付帯条件があり、加羅国からの依頼として、皇女の後見人を住吉氏とすること。』
これは一石二鳥の妙案で、加羅国と軍事同盟を結ぶことが出来ると共に、住吉氏を同じテーブルに着かせることができます。つまり、加羅国と交易の関係をもつ住吉氏にとっては加羅国の依頼を断ることは出来ませんし、皇女の後見人となったならば、皇女が出席する会議に「皇女の後見人として出席して欲しい」と言えば住吉氏は断ることは出来ません。
このような状況下で行われたことが、『仲哀記』の中に描かれていることではないでしょうか。
先に、私が考えている古事記のトリックの解明をしておきましょう。
第3のトリック 『From』と『To』の入れ替え ・・・ どこから来て、どこへ行こうとしているのかの地理的な場所を入れ替えてしまうこと。
仲哀天皇は「熊襲」征伐に行くのではなく、「熊襲」方面である「日向」から来たということ。
そして、神功皇后は「新羅」征伐に行くのではなく、「新羅」方面である「加羅」から来たということ。
どうして、そのように考えるのかは後日、詳述しますが、ここは先へ進みましょう。
これを考慮して、私が考えている『仲哀記』に登場する人物は次の通り。
仲哀天皇 ・・・ 日向の蘇我氏が側近にいる呉の末裔
神功皇后 ・・・ 加羅国の皇女
建内宿禰 ・・・ 宇佐氏
神(住吉三神) ・・・ 住吉氏
古事記に書かれている仲哀記の言動部分を記します。
神功皇后 「西の方に國有り。金銀をはじめとして、目のかがやく種々の珍しき宝、多にその國にあり。吾今その國をよせたまはむ。」
仲哀天皇 「高きところに登りて西の方を見れば、國土は見えず。ただ大海のみあり。」よって、「いつわりをなす神」と謂う。
神 大く怒りて、「およそこの天の下は、汝の知らすべき國にあらず。汝は一道(死の国)に向ひたまへ。」
建内宿禰 「恐し、我が天皇、なほその大御琴あそばせ。」
仲哀天皇は御琴の音をさせず、そのまま崩御。
神 「およそこの國は、汝命(神功皇后)の御腹に坐す御子の知らさむ國なり。」
建内宿禰 「恐し、我が大神、その神(神功皇后)の腹に坐す御子は、何れの御子ぞや。」
神 「男子ぞ。」
建内宿禰 「今かく言教へたまふ大神は、その御名を知らまく欲し。」
神 「こは天照大神の御心ぞ。また底筒男、中筒男、上筒男の三柱(住吉三神)の大神ぞ。・・・」
まず、神功皇后の述べた「西の方に國有り。」の『西』を『東』に置き換えて解釈すれば、新羅征伐ではなく、大和東征の話になります。造作もありません。
その後、仲哀天皇(呉の末裔)と神(住吉氏)との間で口論となりますが、何について口論しているのでしょうか。仲哀天皇の「高きところに登りて・・・國土は見えず。」に着目します。
『高きところに登りても國土は見えず。』
ここで『國土』を『先』という文字に代えてみます。
『高きところに登りても先は見えず。』
意味としては何も変わらないように見えますが、主語が省略されているので、その主語が「私が」ではなく「あなたが」に代えてみます。
『(あなたが)高きところに登りても先は見えず。』 → 『あなたが総大将になっても未来は見えない。』 → 『あなたに総大将の能力はない。』
つまり、仲哀天皇{呉の末裔)と神(住吉氏)との間で、大和東征の総大将の地位について口論になったのではないかと思います。そして、突然、仲哀天皇は崩御します。心臓発作なのか、殺められたのか、何の記述もないのでわかりませんが、一番驚いたのが、建内宿禰(宇佐氏)であったことは容易に想像出来ます。
これまで準備をして来たことが、すべて水の泡になってしまいます。仲哀天皇(呉の末裔)の崩御が蘇我氏に知られる前に対策を講じなければなりません。その対策とは仲哀天皇と神功皇后の子である応神天皇を大和東征の総大将にするという妥協案ではなかったでしょうか。
そうすれば、蘇我氏にも住吉氏にも双方の面子を立てることが出来ます。この応神天皇を総大将にするということで、九州はひとつにまとまったと言えます。宇佐氏においてはこの瞬間、大和東征の八割は成功したと確信したのではないでしょうか。
次回は「軍事基地 洞海湾」について語ります。
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品
作品名 「Jeff s World」
制作 神奈川県男性
作品時間 84分
メルマガ最後に紹介するビデオ作品はこれ以外に考えられません。
『Jeff s World』
米国・ヨセミテのビッグ・ウォールの中での信じられない演出。こんなことを誰が予測出来るでしょうか。
2008年、Aさんの誘いで米国・ヨセミテのビッグ・ウォールにチャレンジすることになりました。ヨセミテに行くのは初めての私に、Aさんは気遣ってくれ、著名な写真家ハインツ・ザックさんが撮影した豪華なヨセミテ写真集を贈ってくれました。1枚、1枚めくる度に、ため息が出るほど美しいヨセミテのショット。
さて、ロサンゼルスに着くと、すぐにBさんの家に転がり込みました。Bさんは横浜の私のマンションに1週間程滞在したこともあるので周知の仲です。ロサンゼルス郊外のあちらこちらの岩場を登り、そして、ジョシュアトリーの彼の父親が持っているゲストハウスにも泊まりました。
そして、今回の最大の目標であるヨセミテに到着。当初の予定とは違うのですが、ロストアロー・スパイアーを登ることになりました。と言っても、クライミングに興味の無い方はピンと来ないかもしれません。
そこで、634メートルの高さがある東京スカイツリーを頭の中に描いて見てください。この頂上から70メートルほど下がり、そこを起点として斜めに鉄塔が突き刺さっていると仮定して下さい。その鉄塔の頂上は東京スカイツリーの頂上とほぼ同じ高さです。下から見たら、爪楊枝が突き刺さっているぐらいにしか見えませんが、その爪楊枝の先端に実際に行くのは相当な高度感です。
私たち3人はまず、東京スカイツリーの頂上まで歩いて登ります。そして、2本の長いロープを使います。1本はバックロープとしてその末端を東京スカイツリーの頂上に固定し、これを利用して70メートル下の突き刺さった鉄塔の基部まで下降します。次に、もう1本のロープで鉄塔の先端まで登り、再び、バックロープを利用して、鉄塔の先端から東京スカイツリーの頂上に戻るというわけです。
当日、地元フレズノに住む2人のクライマーが私たちよりも先に東京スカイツリーの頂上に到着しており、彼らが先に取り付きました。その後を追って、私たち3人も取り付きました。
東京スカイツリーの頂上から70メートル下の鉄塔の基部まで下降。Bさん、Aさんが登り、最後に私が登りました。私は鉄塔の先端まで数メートルのところまで来て、東京スカイツリーの頂上を見ると、すでに登り終って東京スカイツリーの頂上に戻っているフレズノの2人のクライマーがいました。
ということは、鉄塔の先端には私よりも前に登っているBさんとAさんの2人がいるはず。
そして、私がとうとう鉄塔の先端に到達すると、BさんとAさんの他に、もう一人いるんです。
『えっ! この人、何処から来たの?』
呆然としている私に、Aさんはニコニコとしてこちらを向いて、
「スエさん。この方、知ってますよね?」
「???」
「写真家のハインツ・ザックさんです。」
「ん! あの著名な・・・」
私はすかさず握手を求めると、ザックさんは愛想よく応じてくれました。
状況を呑み込めていない私に、Aさんが説明するには、ザックさんは先行したフレズノの2人のロープを利用させてもらって、鉄塔の先端まで来て、これから綱渡りをするためにスラックラインを張るとのこと。
ふーん、すごい人達はすごいことをするもんだ。
さて、実際のヨセミテとはどういうところかというと氷河が削った深いU字谷になっていて、両側の大岩壁の高さは800メートルほどあります。その片側の頂上付近に、東京スカイツリーの鉄塔に譬えたロストアロー・スパイアがあるというわけです。
そのすぐ側にはこの標高差800メートルを流れ落ちるヨセミテフォールがあり、春の雪解け水で水かさが増したこの滝は迫力、豪快さとも圧巻でした。飛び散ったしぶきがあたり一面を潤し、ロストアロー・スパイアーの頂上から見ると、陽が照っている限り、弧を描いた虹が消えることはありませんでした。
そして、振り返って、反対側の大岩壁を見ると、豪快なハーフドームがあります。800メートル下の谷は新緑で埋まり、春の最も美しい時期だったのではないでしょうか。
ただ、私にとってはこの美しさに浸る余裕はまったくありませんでした。800メートルという高さの緊張感で、頭が真っ白だったのです。
米国で楽しかったクライミングを終えて、横浜に戻り、しばらくしてからふと思いました。
Aさんは写真家のハインツ・ザックさんがロストアロー・スパイアの先端に来ることを知っていて、予め、日本を出発する前に、彼の写真集を私に贈ったということ!?
あり得ない。決して、あり得ないよ、そんなすごい演出!!