作品名 「*** スポーツクライミング2014-2015」
制作 オリジナル・シー・ヴイ
作品時間 35分- 先日、一本の電話がかかって来ました。Aさんからです。どことなく話の糸口を見つけづらいような口調でした。
「この前、末次さんに撮ってもらったクライミング映像がどうやら私の最後のものになってしまったようです。・・・」
お話を伺うと、複数の内蔵疾患でお医者さんからもクライミングのような激しい運動は無理だと言われたそうです。
とうとうこの日が来たか、と内心思いました。この1-2年間はAさんの体調が許す限りご一緒して、まめにAさんのクライミング姿を撮り続けて来ました。でも、・・・。
Aさんと知り合ったのは2000年前後、鷹取山です。今振り返ると、この頃、私たちには共通の目標があったように思います。
それはインターネットを通してフリークライミングを普及させること。
2000年頃というと、インターネットもまだまだ黎明期で、回線速度が128kbpsとか256kbpsといったような時代でした。インターネットに繋ぐ環境を作るだけでも膨大な設備投資費用が必要でしたが、Aさんはそれを構築し、フリークライマーに向けてメーリングリストなどのサービスを無償で提供していました。
それはフリークライミングの底辺が広がっていない中で、貴重なコミュニティの場だったのです。
フリークライマーの人口が増えてくると、マナーを知らないビギナーが岩場の地元住民とトラブルを起こすようなことも出て来ましたので、Aさんは地元住民とクライマーの間に入って、そのクッション役も兼ねて来ました。
一方、私の方は超低速回線の中で、いち早くクライミングの動画配信を試みました。サイコロのような画像サイズの中に紙芝居のような動画を配信するだけも大変だったのです。
また、その頃、毎年タイ・プラナンに通い始めていましたが、プラナンについて、インターネット上で有益な情報はほとんどありませんでした。
そこで、プラナンで撮影し制作したビデオ作品をインターネット上で紹介して、ビデオ作品のコピーを無償配布していたのです。当時のクライマーにとっては貴重な情報源だったと思います。
その後、ギリシャ、イタリア、米国、韓国、カナダ、スペインで撮影し制作した動画を配信し旅行記も掲載しましたので、これらを情報源として海外に出ていったクライマーも多いと思います。
思い返せば、約15年間、Aさんとはたくさんの口論も致しましたが、クライミングを共にさせていただけたのはお互いが頑固で屁理屈好き、そして、時代に先駆けて新しいことをすることが何よりも好きだったからではないかと思っています。
これからAさんはクライミング以外のフィールドでご活躍されると思いますが、私のビデオカメラはいつまでもAさんを追い続けていくことでしょう。 - メールマガジン No. 145 2015-09-01