作品名 「御嶽山噴火を考える ―体験者の声を聞く―」
制作 公益社団法人日本山岳会 医療委員会
作品時間 174分- 昨年暮れの12月4日、公益社団法人日本山岳会医療委員会の主催により日本山岳会110周年記念シンポジウム『御嶽山噴火を考える -体験者の声を聞く-』が、東京慈恵会医科大学高木2号館南講堂で開催されました。
講演者は3人。
まず、同会科学委員長の福岡孝昭氏による「火山噴火と安全登山」の講演。火山噴火のメカニズムについて初心者にもわかるように説明されました。
次に、噴火口から350メートル付近におられて噴火を実際に体験された登山ガイドの小川さゆり氏から「御嶽山噴火に対する想い」が発表されました。
そして最後に、実際に災害現場に行かれた上條剛志氏から「御嶽噴火災害における医療活動」が報告されました。現場の生々しい声が聞かれ、今後の活動に対する課題点も取り上げられました。
いずれの講演も内容が濃く、マスメディアには取り上げられることのない、このシンポジウムに参加しなければ聞くことの出来なかったことが多数含まれていましたので、会場を埋め尽くした満員の聴衆の皆さんに大きな感銘を与えました。
中でも実際に噴火を体験された小川さゆり氏の発表は圧巻でした。
私は会場の一番後ろからカメラを回していたのですが、聴衆の皆さんが固唾を飲んで聞いているのがよくわかりました。
聴衆の皆さんが誰も息をせずに聞き入っている感じなのです。彼女の声以外は一切の音がなく、まるで「シーン」という音がしているかのような錯覚。
彼女の誇張することのない、淡々とした語り口は想像を絶する真実を聴衆の皆さんに突きつけました。
要約すると・・・、
11時52分 1回目の噴火。
「ドドーン」という鈍い音がして振り返ると、噴煙と噴石が高く舞い上がっていた。即座に噴火だと判断し、登山道脇のなんとか体が隠れる岩に張り付く。
同時に硫化水素らしいガスにまかれる。喉を押さえてのたうちまわる。
「もうだめだ」と思った瞬間風向きが変わり、息が出来るようになった。
2分後、放り出された噴石が空気を切り裂いて降り出した。猛烈な量とスピードと大きさ。岩と岩がぶつかり砕ける音が凄まじい。
6、7分後、噴石が落ち切って冷たい空気が入る。このままだとやられると思い、30メートル下の大きな岩の塊に移動。小さな穴に頭を入れるが、腰と右足は入らない。
2回目の噴火。
あたりは自分の手すら見えないほど真っ暗な闇に覆われ、約50分続く。
噴石と一緒に小さな石の粒がざんざんと降り出し、あっという間に腰まで積もる。
3回目の噴火。すさまじい爆発音。
電子レンジ、洗濯機、軽トラックほどの岩が飛んできた。灰が積もったおかげで、斜面では新雪に飛んできた岩が吸い込まれていく感じになった。
雷が真っ暗闇に3本走った。急に視界が広がりだし外へ出る。尾根の上まであがり、身を隠す岩を捜すが見当たらない。直感で一ノ池を突っ切って二ノ池のガレまで走ることを決断。その間、身を隠すところがないので、噴石がきたら、やられるが・・・。
13時10分頃、覚明堂に飛び込み、「助かった」と思う。
このシンポジウムの会場に足を運んだ聴衆の皆さんの中で、この凄まじい状況を予想していた人が一人としていたでしょうか。この事実を聞き終えてただ呆然とする以外に何が出来たのでしょうか。
最後に、彼女は語りました。
「この日、穏やかだった御嶽山は突然、噴火しました。そこにいた登山者は噴火に関わる者として人生を変えました。
生かされた者と命を落とされた方では生きているという決定的な違いはあります。しかし、生かされた者は恐怖感、自責の念、苦しい感情を抱え、苦難を乗り越えようとしています。
この先、あの日の光景、教訓を私は忘れません。
あのとき、自分の命を守ることしか出来ませんでした。しかし、自分の命は守れました。あのとき何もできなかったのなら、出来ることをすればいい。
登山者が見た噴火の恐ろしさと残していただいた教訓を伝えたい。
ただ、そう思っています。」 - メールマガジン No. 151 2016-03-01