作品名 「(仮称)糸島のお土産」(未完成)
制作 オリジナル・シー・ヴイ
撮影 5分- 朝7時過ぎ、ピックアップにいらして下さった車に乗り込みました。私が最後ですので、参加者5人全員揃い踏みです。
「おはようございます。あいにくの雨ですね。」
この日は九重に山登りに行くことになっていたのですが、天気は雨。宿泊先のコテージはすでに予約しているので、キャンセルするわけにもいきません。
このような時、5人の中には暗黙の了解が出来ていて、ドライバーのAさんにその日の行き先を一任しているのです。Aさんが機転を利かせ、山登りから観光モードに切り替えて、どこかに連れて行って下さるというわけ。
行く先はAさんの頭の中にだけあり、同乗している4人にはわかりません。
さて、本日はどこへ行くのでしょうか?
北九州都市高速に乗り、その後、九州自動車に乗り継いで西へ。さらに、福岡都市高速に入って行きました。西へ西へと進みます。九重は南にあるんですけど・・・。
いよいよ海岸線に出て来ました。右手に博多湾があり、能古島が間近に見えます。そして、左手は背振山地の山並みが連なっています。
元寇防塁の史跡を越え、生の松原を通り過ぎました。松林の海岸線がなんとも美しい。
そして、とうとうたどり着いた先は、伊都国歴史博物館!
田んぼの真ん中にドンとある感じ。瑞梅寺川と雷山川に挟まれた実り多き水田地帯の中です。
博物館の中は立派な展示室になっていて、説明員の方が懇切丁寧に案内して下さりました。
まず、地区全体を知るために、この地区の地形モデルがあるところへ行き、それを指さしながらの説明です。
「ここが三雲(みくも)・井原(いわら)遺跡です。伊都国の中心と考えられるところです。そして、ここが平原(ひらばる)遺跡です。日本最大の直径46.5cmの銅鏡が出たところです。・・・
ここら辺一帯を伊都国と呼び、そして、その北側のこちら一帯を志摩国と呼びます。伊都と志摩ですので、現在はその漢字を置き換えて、福岡県糸島郡と言ってるんです。」
「あっ、なるほど。」
この伊都国の地図をじっと見ていると、あるところで目が釘付けになりました。末永という地名があるのです。
そして、今度は志摩国の地図を見ていると、末松という地名を見つけました。
「末」の名の付く地名が近くに2箇所もあるのです。松浦市からは直線で約50kmの距離です。
これはひょっとして・・・。
帰宅した後、早速、父が使っていた昭和50年代の地図帳を引っ張り出して来て、松浦市を中心に「末」の付く地名がないかを捜し始めました。
世の中、そんなに甘くはないので、なかなか簡単に見つけられませんが・・・。
あった! 佐賀県佐賀市の佐賀大学の西に末広、そして、南東に末次という地名があります。ここも松浦市からは直線で約50kmの距離です。
さらに、あった! 福岡県小郡市の西鉄大牟田線の端間駅と鰺坂駅の間の東にも末次という地名があります。ここは松浦市からは直線で約70kmの距離です。
なんと、このふたつの末次を直線で結ぶとその真ん中辺りに、邪馬台国の遺跡ではないかと空前の一大ブームになり、全国から100万人以上の歴史ファンが訪れた吉野ケ里遺跡があるのです。
卑弥呼と末次に何らかの繋がりがあるのでしょうか?
そして、九州全県と山口県を調べますと、「末」の名の付く地名は全部で23か所ありました。
その内、海岸線から5km以内にあるところが13か所、そして、川を河口から遡航して行けるところが5か所でした。
つまり、船を使えば容易にたどり着くところが約80%なのです。
これはギリシャ人やフェニキア人が海岸線沿いの各地に植民都市を建設していった構図と変わらないのではないでしょうか。
いよいよ、「末」の名字をもつ人々が末盧国出身者であるという確信が深まって来ました。 - メールマガジン No. 171 2017-11-01