作品名 「HOT CLIMBING(シリーズ)」
制作 末次浩- 「HOT CLIMBING」 (2001)
https://www.originalcv.com/climbing/1606videoWorks/aWork/index.php?wnum=7
「HOT CLIMBING2」 (2002)
https://www.originalcv.com/climbing/1606videoWorks/aWork/index.php?wnum=9
この2作品こそが、情報の少なかったタイ・プラナンを日本の多くのクライマーに紹介する決定的なものとなりました。
これらの映像情報がどれほど大きな存在であったかは当時の環境を見ればわかります。
登山用品販売店に出かけて行って、そこで販売されているものと言えば、欧米の著名人クライマーのVHSテープが主流であり、著名な日本人クライマーのビデオは数本しかありませんでした。
インターネットはまだ黎明期であり、個人のホームページが漸く広がっていったような時代。回線速度は256k-IMbps程度なので、インターネット上で配信する動画もマッチ箱のようなサイズのものが紙芝居でできる程度。それでも通信料が増えてしまうので、動画配信するには専用線を引いて、自宅でサーバーを立ち上げなければなりませんでした。もちろん、YouTubeなんてあるわけではありません。
「HOT CLIMBING2」の制作においては、私自身がまだサラリーマン生活でしたので、映像編集にかける時間は会社へ行く前の1-2時間程度。パソコンの性能だって今の比ではありません。また、この作品は現地で知り合ったドイツ人や香港人クライマーにも配布するため、英語のテロップを入れなければなりませんでした。よって、このひとつの作品を完成させるのに2か月ぐらいはかかりました。
一人の限られた時間でビデオ作品を制作するということがどういうことであるのかが、身に染みた時でした。そして、この映像情報の配布はVHSテープから代わって、当時出始めたDVDを媒体にして、郵送で送りました。ひとつの作品のインターネット上での動画配信なんて、夢のまた夢。
そして、この映像情報を欲しいと希望する日本各地のクライマーに配布され、そして、それはその地域の多くのクライマーに回覧されていったのです。
私にとって、タイ・プラナンとは世界各地のクライマーに出会えるきっかけであり、そして、その映像情報を配布することによって日本各地のクライマーと知り合えるきっかけでもありました。そして、その映像のもつ力(ちから)を実際に肌で感じた時でもありましたから、その後の自分の人生の時間を映像制作に携わることにかけてみたいとも思ったのです。
その後、いくつかのきっかけが重なって、サラリーマン生活に終止符を打ち、翌年、個人向け映像制作サービスとして、オリジナル・シー・ヴイを立ち上げました。
一方、リゾート開発が進み、ますます一般観光客が増えるタイ・プラナンに対する興味は次第に薄れて来ました。それに代わって、エーゲ海上の小さな島で大規模なクライミングルートの開拓が進めらているという情報がいち早く入って来ました。その数枚の写真を見ただけで、ここは行かなければならないと直感したのです。現地のクライマーにEメールを送り、いろいろな情報を取り寄せて企画を進めたのですが、その実現は容易ではありませんでした。
次回はその話から始めたいと思います。乞うご期待。 - メールマガジン No. 177 2018-05-01