作品名 「Homer sometimes ... - Climbing in Kalymnos -」(前編)
制作 Original CV
作品時間 59分- エーゲ海に浮かぶ島、ギリシャ・カリムノス島で本格的なクライミング・ルートの開拓が行われていると聞いたのは2002年頃だったと思います。
雑誌などのマスメディア情報ではなく、クライミング仲間からの口コミ情報でした。そのとき、現地で撮影された複数枚の写真も見せられたのです。コバルト・ブルーの海に浮かぶ真っ白な島。タイ・プラナンのエメラルドグリーンの海とは対照的でした。その美しさにいっぺんで魅せられました。
早速、情報収集を始めました。
ギリシャ・カリムノス島で本格的なクライミング・ルートの開拓が始まったのは2000年前後。開拓を始めた人たちはそれを2000年プロジェクトと呼んでいたようです。もともとカリムノス島は夏のオン・シーズンに訪れる観光客のためのリゾート地だったのですが、冬のオフ・シーズンは観光客が寄り付きません。リゾート施設も観光客が来ないのではどうしようもありません。
現地の住民は、冬はカリムノス島を離れて、ギリシャ本土やロードス島などの大きな島に移って、出稼ぎをしなければいけませんでした。本当は美しいカリムノス島で1年を通して住んでいたかったのです。
そこで冬でも観光客を集める方法がないかと目を付けたのが、カリムノス島のあちらこちらにある大きな石灰岩の岩場。冬のシーズンはここにクライマーを招き入れることが出来ないかと・・・。
ここでもタイ・プラナンと同じようにクライマーと現地住民との間に協力関係が出来上がったのです。
まず、クライミング・ルートを開拓するには大量のクライミング・ボルトが必要になります。それをすべて現地住民側が準備し、クライミング・ルートを開拓するクライマーに無償提供しました。
地元住民は開拓するクライマーに対して、
「クライミング・ボルトを無償提供するから、クライミング・ルートをたくさん開拓して欲しい。そして、開拓したクライミング・ルートの場所や難易度などの情報は地元住民側に知らせて欲しい。」
という具合です。そして、その情報を基に、カリムノス島のクライミング・ガイドブックを作成し、カリムノス島の素晴らしさを世界中のクライマーに向けて発信しました。
そして、クライミング・コンペを開き、著名なクライマーを招待したりして、その知名度は瞬く間に世界中のクライマーに広まっていったのです。
一方、私の方は現地のクライマーにEメールを入れ、クライミング・エリアや宿泊施設の具体的な情報を入手していました。あとは行くだけという状態になっていたのですが、同行するパートナーが見つかりませんでした。企画する段階では深く考えていなかったのですが、滞在期間がネックになっていました。
私としては折角ギリシャまで行くのだから、少なくてもクライミングで2週間、アテネなどでの観光で1週間、計3週間の旅行日程を組んだのです。ヨーロッパではバカンスの考え方が定着していますので、3週間の休みと言っても驚きません。しかし、日本の場合、サラリーマンで3週間休める人なんて、まったくの皆無に近い・・・。
企画はそのまま棚上げされて、数年が経ちました。
そして、あるとき、たまたま、Aご夫妻に出会ったのです。
「今年、ギリシャ・カリムノス島へ行って来たよ。ひと月ぐらい滞在したかなあ。帰ってきたらギリシャボケしていたよ。来年も行くけど一緒に行く?」
「はい、行きます!」
人の運命なんて、どこでどのように変わるかわかりません。そして、Aご夫妻に出会えたことはまったくの幸運でした。Aご夫妻はヨーロッパの文化に深い造詣をもたれていたのです。
まず、これを読んでみたらと一冊の本を手渡されました。シェイクスピアの問題作「トロイラスとクレシダ」でした。トロイ戦争を題材にしているのです。これを皮切りにまずは原点となるホメロスのイーリアスとオディッセイア、アイスキュロスのアガメムノーン、ペルシャ戦争を描いたヘロドトスの歴史と読破していきました。
このことが翌年、ギリシャを旅したとき、どれほど役に立ったか。というよりは、旅というものをどれほど奥深いものにして行ったのか。クライミングだけではない人生の深さを感じるようになっていったと思います。 - メールマガジン No. 178 2018-06-01