作品名 「シチリア、その夢」(後編)
制作 Original CV
作品時間 47分- Palermoで1週間を過ごした後、Agrigentoに行くため駅に向かいました。
Palermo駅のプラットホームで、シチリア人が日本語で話しかけて来ました。
「やあ、また会いました。すごい休みですね。」
「今から列車でAgrigentoに行くのです。」
「そうですか。あそこはシチリアの京都のようなところです。」
このシチリア人とは先日バス停で会い、新宿のHISで働いていた、ということを聞いていました。なんだか人の繋がりとは妙なものだと思ったりします。
シチリア島はイタリア半島の靴の先から飛び出すようにして、二等辺三角形をしています。頂点はTrapani。残りの二角はMessinaとSiracusa。Messinaがイタリア半島の靴の先と接するような形になっています。
TrapaniとMessinaを結ぶ辺にPalermoがあってティレニア海に面しており、そして、TrapaniとSiracusaを結ぶ辺にAgrigentoがあって地中海に面しています。
だから、今日はティレニア海から地中海に向かうわけです。列車の車窓からは起伏のなだらかな丘が次々と見え、オリーブや柑橘類を植えた畑が続きました。
そして、Agrigentoの街が見えてきました。急な斜面に張り付くように、7-8階建てのビルがびっしりと並んでいます。Palermoとは異質の風景。そして、はるか眼下に見える地中海は太陽が射すと、澄んだブルーの海がキラキラと輝きました。
このAgrigentoは海の民であるギリシャ人によって建設されました。その遺跡が「神殿の谷」として残っているのです。
この遺跡の中でも、コンコルディア神殿はかなり完全な形で残っています。しかし、アテネのパルテノン神殿と比較しては可哀想なのかもしれないけど、規模は一回りも二回りも小さく、素材は大理石でなく砂岩です。
でも、私はこのコンコルディア神殿に深く心を揺さぶられました。アテネから離れて遠いシチリアのこの地に来てまでも、この神殿を建設してオリンポスの神々を奉じているのです。
海に出て様々な困難にぶつかっても信じる神を疑わずに奉仕し続ける姿勢。信仰とはそんなに簡単に変わるものではないと思ったのです。
今、私は古代日本についての記事を書いていますが、そのヒントがこのAgrigentoでした。
海の民ギリシャ人がオリンポスの神々を信じて疑わなかったように、古代日本人も海にまつわる神々を信じて疑わなかったのだろうと。
次の日、Agrigentoを8時30分に出発して、バスでTrapaniに向かいました。
左手に地中海を見ながら、延々とバスは走りました。起伏のゆるいなだらかな斜面に、区画毎に整列して、様々な柑橘類が栽培されてます。大規模な農園です。燦々と輝く南国の太陽の下で、シチリア産の美味しい果実がここから供給されているのでしょう。
4時間近くかかって、ようやくTrapaniへ到着。
今日泊まるホテルは標高700mの山頂にあるEriceにあるので、Erice行きのバスを探しました。次の出発は2時10分。1時間30分も待たねばなりません。15分かそこらで着きそうな距離なのに、それだけ待つのも無駄なような気がし、タクシーでEriceまで向かうことにしました。
タクシーは一路、山に向かいます。右に折れて、山の裾野をぐるっと反対側に回ったところから、今度は左に曲がります。
ここからつづら折りの急カーブを曲がりながら高度をどんどん上げていきました。高度計が、400メートル、500メートル、600メートル、700メートルという数字を表示。
はるか下に見渡す景色は絶景です。蒼いティレニア海、その波が長い白い砂浜に打ち寄せます。海を隔てたその先は昔、カルタゴでした。
Ericeは山頂の要塞の街です。その展望からはティレニア海を通過するすべての船が分かります。
「とうとうここまで来てしまった!」 ゆっくりと深呼吸をしました。
翌日、標高700メートルの山頂の朝は冷えました。そして、雷と共にざーっと雨が降りました。
シチリア島の北東端を一望に出来るEriceは素晴らしいのですが、弱点もあります。ここを拠点に行動する場合、必ずこの標高700メートルの山を下らねばならないし、帰って来るときはこれを上らねばなりません。
今日は港町Trapaniに行くことにしました。Ericeでバスに乗ると、Trapaniまで一気に駆け下りました。Trapaniの街はPalermoやAgrigentoと違い、 碁盤目状に区画整理がされています。港町であるが故に、船や人魚をあしらった装飾も多く、建物はオレンジ、イエロー、薄いピンク色に塗られてカラフルです。
南国の蒼い空と海、そして、強い太陽の日差し。これぞまさにシチリア!
私が日本で想像していたシチリアがここにありました。TrapaniとEriceはシチリアの宝石と言っても過言ではありません。
ここEriceでもクライミングに行きたかったのですが、トポに書いてあるクライミングエリアのある街までは遠いのです。たとえ、そのクライミングエリアのある街にたどり着いたとしても、今回の経験が物語るように実際のクライミングエリアに到達するまで四苦八苦するはずです。結局、もう一日はここEriceで過ごすことになりました。
私は眼下の平原とティレニア海がきれいに見えるお気に入りの場所で、のんびりと本を読むことにしました。
その本とは塩野七生著「ローマ人の物語」ですが、その話はコンスタンティヌス帝まで 進んでいます。AD313年にミラノ勅令を発し、ローマは正式にキリスト教を容認しました。統治の委託者を不安定な「人間」から「神」へ変更する模索が始まったのです。ここから中世の扉が開かれることになります。
本の主要部分をノートに写し取っていると、私の前を何度も通り過ぎる人がいます。ふと顔を上げると、このEriceの教会の神父でした。
「どちらから来たのですか。」と問われ、二言三言挨拶を交わしました。そして、握手を求められました。
「良い旅を。」
ここEriceから、私の中世が始まろうとしていました。 - メールマガジン No. 186 2019-02-01