作品名「みんなで登った ~スパンティーク峰(7,027m)16人全員登頂の記録~」
編集 Original CV 制作 神奈川ヒマラヤ登山隊1992
作品時間 147分- この作品は1992年に撮影されたものです。
当時、その成果はテレビ神奈川で放映され、そして、本にもなりました。
(敷島悦郎著「そして、みんな登った」<山と渓谷社>、写真集「スパンティーク全員登頂」<神奈川ヒマラヤ登山隊1992>)
しかし、隊員の撮られた膨大な映像記録は編集されないまま今日に至っていたのです。15年経った今、隊員のお一人から登頂の映像記録全体をまとめるように依頼されました。
まず、この映像を一度拝見して素朴に思ったことがあります。スパンティーク隊の成功要因は何だったのか、という疑問です。
1992年、カラコルム・ヒマラヤの遠征を組んだ日本隊は7隊。雪の多いその年にスパンティーク隊を除く6隊は敗退を余儀なくされています。つまり、スパンティーク隊だけが成功し、しかも、16人全員登頂という快挙だったのです。
この映像記録の1コマ1コマがその成功要因を解き明かす鍵となっているように思います。私にはその要因が3つあるように思います。
(1)一貫した明確な目標
最初から「全員登頂」を目指していたということです。「全員登頂でなければ意味がない」と広島隊長は語り、悪天でC2に閉じ込められ、全体の計画変更を余儀なくされても隊員一部だけの登頂は目指さず、あくまで全員登頂を目指しました。
(2)チームワーク
明確な目標のもとに、チーム一丸となっています。パキスタンというお国柄で、予定の物資が購入できなかったり、ポーターたちのストライキは当たり前という中、隊員全員がくさらずにこつこつと努力しています。
(3)モラルの高さ
単に登頂をして帰ってくればよいというものではなく、当時ではまだ珍しかったテイクイン・テイクアウトの実行。つまり、すべてのごみを持ち帰りました。また、広島隊長の「クライマーは社会の一員であるが故にクライマーが行う登山という行為は文化であり、その登山の経緯や結果は社会に還元しなければならない。」という考え方で、写真展、映写会、テレビ放映、出版など多彩な活動を繰り広げています。
この素晴らしい映像記録を皆さんにぜひともご覧いただきたいと思います。皆さんなら、その成功要因は何だとお考えでしょうか。
オープニング映像はこちらでご覧ください。
この作品をご希望の方は清水様(chogolisa@jcom.home.ne.jp)までご連絡ください。 - メールマガジン No. 44 2007-04-01